四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪序文 ①≫

今日からブログを始めます。筆名は刻露清秀。48歳、警備員。何度めかの社会的ブランクを克服し、今年になってようやく生活基盤が整った独り者です。仕事は現在、都内の大通り沿いビル改修工事現場に常駐しての交通誘導です。


自身について語ることは長年本当に苦痛でした。プロフィールも最初の2回でいったん切り上げてしまおうと思います。


というのも私の場合、厄介なことに経歴の点で真っ先に目立つ、揶揄されがちな要素がのちのちまで尾を引いたからです。それは10代のとき有名進学校で校風に馴染めず萎縮し躓いてしまったことでした。人に遅れて入った大学での幻滅も、就活の失敗も、あがり症と吃りの再発も、長期の引きこもりも、両親との泥沼化した啀み合いと絶縁も、非正規雇用での復活と失職の繰り返しも、要するにその延長線上にありました。


最終的に切羽詰まって助けを求めた先は、始まったばかりの生活困窮者自立支援制度でした。その就労支援計画のおかげで半年後にはいったん介護の資格を得たのですが、こうした経緯から、世間的にはいわゆる負け組の一例として、鼻で嗤う人も多いことでしょう。


しかし、ワーキングプアや無業期の失意に加えて、私にはそれをも凌ぐ真剣な苦悩の持続がありました。それは、同時代の知的世界から遠く隔てられ、24年もの間接触できないでいる疎外感・寂寥感でした。


そのかん、国内外の高名な知識人たちの頑迷不毛な歴史論争や無内容な文芸思潮、時宜を得た社会学者たちのサブカル的な饒舌、およそ人文系の知に関する言説のほぼ全てが仲間内だけでしまりなく馴れ合っていました。教条的攻撃的な政治信条や、時代性ばかり強調する申し合わせたような選考によって、外部からの疑義はかたくなにブロックされていたのです。


平凡な出自、性格も中庸、おくてな私。東大に入って裁判官弁護士官僚を目指せの一点ばりだった無知で物堅い職人の父。いかにも昭和的な出世願望にとらわれた道を脱却しようとのちに大学の文学部へ入ってみれば、その偏狭な党派性や異口同音の問題意識、欧州知識人の受け売り、関心・研究対象のつまらなさたるや壮絶でした。取り上げる文学作品の質もまたしかり。


そして15年後、物流倉庫の荷受け場でエプロンを着て独りパレットの積み替えをしていたときのことです。突如包括的な人文知の見取り図が場内に閃きわたり、それまでの雑然とした模索が一気にライフワークとしての重みと成熟を要するものへと導かれていく手応えに戦慄を覚えました。まもなくリーマンショックが起き、翌年雇い止めになると、長引く失業に追い詰められながらも、強固な構成意志をもった詩篇のテキストが鉱物の結晶のようにゆっくりと成長していきます。多年の社会的孤立(ずっと変わらぬ友人は一人)、親きょうだいとの絶望的な軋轢、履歴書の空白期間、取り返しようのない失敗の一生にもかかわらず、自身の精神的な活力は幸いにも損なわれてはいなかったのです。


このブログの眼目は、そんな一連の思索=詩作を遅まきながら一篇ずつ公表していくことにあります。経歴のバイアスもあって最初は誰も信用しないでしょう。実はこれまでにA新聞の文化部各位や現代詩の総本山S社など、既成の牙城や権威筋へ意見を求めて手紙をしたため郵送もしました。が、そのつど黙殺されて馬鹿をみるだけでした。


次回、私の現況と志についてもう少し述べ、それから実際に詩を一篇紹介します。ネット上は初見参ですが中身は深化していきますのでどうぞよろしくお願いします。