四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪序文 ②~最初の一篇≫

再びお目にかかりました。刻露清秀です。昨年警備の仕事に就いてから、ようやくスマホを持つ身となりました。今は職長なので、連絡や調べ物に📱はいっときも手放せませんが、それまでの八方塞がりな歳月を思うと、まことに感に堪えません。


とはいえ、ネット上での文章や自作の公開については、いまなおかなりの逡巡があります。もともと私は控えめな教養人タイプで、キャラや奇行や話題性に乗じて世に出る人たちとは対極の人間です。また論争的資質に欠け、時間の篩にかけないとうまく表現できません。ブロガーやライターの自己顕示欲や反論好き、即応才筆ぶりなどを見るにつけ、自分はここでも容易には見出だされず、時代錯誤扱いで埋もれてしまうかもな、と危惧し気おくれしてしまうのです。


それでも敢えて公開に踏み切った理由は4つ。
① 忙しくて時間がとれないから。
② 世に出す手段が他にないから。
③ 国内外の清新な知性との出会いを期待して。
④ エンタメではない価値観を再興する一助となるために。


①については、初めて受け持つ今の現場が工事もたけなわで、来春までは、あてもなく活字媒体への働きかけをしている暇などないということです。

② その出版界や、マスコミ・ジャーナリズムの短見・驕慢・荒廃・分断ぶりに、私はもはや何の希望も持てません。

③ 状況はどの国も似たようなもの。日本以上に受験競争や就職難、政治的な極論やドグマティックな歴史観でがんじがらめな周辺国の知的な層にも、なんとか言葉が届かないものか…。内外ともに、とにかく言論人の質が酷すぎます。惰性で居残っている戦後の虚名や業界人脈からは、とうに何も生まれていないのに。

④については、率直に言えば、エンタメには原理的な限界がある、と前々から思っていました。


では、批評的な言辞はここまでにして、口直しに1篇、自作を載せます。


ハノイの塔
  刻露清秀

負の行を重ね
悲の段を積み上げるとも、
時が経ち、人みな居ずまいを正す、地の位取り。

雪渓は点々と微地形を満たし
しぼりたての水普請が岩の根を斫り
隘路は融けて、花期爛漫に
行き交う人はすすんで道を譲り合う。
稠林限界を越えて初めて目にする光景、
それは百の世で最も日の長い季節の所産。
歩き疲れて暖簾をくぐる者は誰しも
その荷を解けば稷下の餐に加われる。

〈了〉