四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪見越入道 ⑭≫

オラトリオ見越入道
刻露清秀

〈4〉(続き)

仕切岩だらけの洞窟の果てには
人を石筍ならしめてやまない
贖罪のアトリエ、追善のテーブル。
蝋涙と血手形と
鞭打つばかりの雫に囲まれ、
泥の名誉が封泥であるように
満面の恍惚は解かれるすべを認めなかった、
語彙の光も射さない地所で。


だが函人が甲冑の内なるクレドを象るように
陽は半島を朱に染め、
詩出ずる民は預言を通じ、寓言を通じて
機微を釣り上げ、泥線を漁る。
さざ波に香料を振りかけ
氷嚢をして寒剤たらしめる海に、
ふた回りほども歳の離れた
遊行と嗣業、二隻の乗を巡り合わせて。


(続きは次回、なお「朱に」は、あけに。 )


三週ぶりに休みがとれました。あいにく肌寒かったため散歩程度の外出にとどめましたが、次の日曜はすでに出勤が決まっているうえ、半年に一度義務づけられている警備員の研修(現任研修)も迫っているなか、貴重な骨休めにはなりました。


以前別な仕事をしていた繁忙期に、休日利用で外房・内房三浦半島など海沿いの景勝地を歩いては、春へと向かう穏やかな季節感を堪能したことを思い出します。さらには伊豆周辺の数百メートルの低山に登り、相模湾駿河湾、富士山などの雄大な眺めを満喫したことも。


いずれも非正規雇用の仕事で、持ち場に定着してある程度ゆとりが出てきてからの楽しみでした。


警備の仕事についてからも同様です。初めての夏、熱中症にならずに無事お盆休みを迎えた安堵感から、数年ぶりの本格登山(南アルプス4座縦走)に一人で挑んだのです。が、下山途中で橋から滑り落ちて肩を脱臼し、林道終点から救急搬送されるという大失態をやらかしてしまいました。この怪我で医師からは最低三か月の安静を命じられ、うち丸一ヶ月は完全に仕事を休むはめになっています。


もっとも、全快後の昨年も、懲りずに八ヶ岳で雪山単独登山を敢行しましたが…。


こうした一連の登山やハイキングは、私にとって本当にかけがえのない喜びです。大学以来付き合わされた屑のような人文系言説やイデオロギーを廃棄処分した後で、自らは小説一つ生み出せず論争にもくみしえなかったフリーターないし失業状態のなか、シニカルに逃げたり腐ったり攻撃的になったりせずほとばしるような探究心を蘇生できたのは、ひとえに心と体の健脚のおかげだと言ってもいいくらいです。この点はいわゆる引きこもりや高学歴プアの一般像とは最も大きく袂を分かつところでしょう。


私が自作の詩を公開するにあたって、最もふさわしい表題を考えたときも、だからこそ『四時歩武和讃』が一閃で決まったのです。