四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪滝めぐりと再生への思い≫

このお盆休みは概ね静養にあてました。1日だけ千葉県の養老渓谷一帯へハイキングに出かけましたが、外房・内房はもとより、東京近郊の海や山は大体行き尽くしたなかで、このエリアだけまだ空白域だったのです。


ドライブ好きな友人の影響もあって、渓谷歩きも近年機会が増えています。5月の済州島でも、白い天女のレリーフが両端まで連なる大きな橋を渡って、3つの清冽な滝を巡り歩き、しぶきを浴びてきました。


渓谷歩きの良さは、清涼感はもとより、お遍路さんに通じるような、昔から歩かれてきた道を誰もが軽装でたどれる心安さにあると思います。有名どころは遊歩道も整備されて親子連れも多いし、養老渓谷に至っては滝のそばでさえ海水浴かと見紛うほど浮き輪をつけた子どもたちや両親の歓声に溢れていました。


人の親になることはもうない私ですが、滝しぶきを前にはしゃぐ子どもたちを見ていると、遅すぎた私の歩みもまだ完全に命脈を絶たれたわけではない、という思いを新たにします。それは、私の思索が、日本でいえば僧侶や修験者のような、古くから受け継がれてきた求道的な精神性を、換骨奪胎して新たな詩篇に蘇らせようとする試みだからです。



ブログでも何度か言及しましたが、私には80年代後半のバブル期以来、時代の空気は全くなじめなかった。折しも高学歴者などがオウム真理教にハマっていったのと同じ理由からですが、私がこれを免れたのは教養主義のおかげで、要は滑稽だったからです。しかしオウム事件以降、世紀末の数年間は真に絶望的でした。感情移入の対象を求めてとち狂うマスメディアと戦後知識人の空威張り。大学で学んだことは根こそぎガラクタ化し、自身ネット社会にも乗り遅れ、ついには引きこもりの蟻地獄に嵌まり込んでしまいました。


2000年代になると、似たような心性や経歴を経て、引きこもり当事者としての考察を本にする者も現れ、ワーキングプアの論客なども出て、メディアの一部から注目を集めたりもしました。しかし結局、社会復帰や自立につながるロールモデルとはならず、論争屋の域を出ることなく終わりました。


社会階層や党派性によって完膚なきまでに分断されたいまの社会で、就業者としては底辺層に属する私など、無力の極みです。その年齢と収入と職歴を上の階層から見れば差別の一種・侮蔑の対象でさえあるでしょう。でも、精神の所産としての詩作においては、自ら恃むところもあります。なぜなら私には四半世紀を超える同時代との緊張関係ゆえ、先述のように連綿と引き継がれ更新されてきた内外の精神文化の源流が、まさしく滝のような落差を成して言下に注がれている自覚があるからです。その最たる達成こそ『オラトリオ見越入道』でした。