四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪関わるまいと決めた論争≫

仕事で目いっぱいで、更新が遅くなりました。


朝は6:30から現場通勤車両の県道側での誘導。朝礼後は広大なショッピングタウン工事エリアの各所で搬入出車両誘導と生コン打設・合材進捗状況の把握。また別班の警備員らによる外構工事の片側交互通行の様子も見て回ります。午後2時前にその日の搬入のめどがつくまで自分の昼休みは遅らせ、唐突な予定外作業にも対応。誘導灯も二刀流にして県道を捌く機会が増えました。



建物自体は鮮やかにできあがっており、周囲の広い敷地もブロックによる区分けや整地が進んできています。ただし市道側正面には今解体中の旧郵便局が夏まで居残り、秋口になってようやく、モール正面玄関へ通じるバスロータリーと交差点の工事に取りかかれる状況です。


簡潔に言えば、想定よりも工期が延びた、ということです。警備の隊長を前任者の音信不通のため急遽引き受けてから丸5ヶ月。私自身は長くてもこの6月まで全うしたら次に引き継ぐつもりでいました。しかしコロナ禍の困難な時期を1日も欠かさず現場に立ち続けた自分に代わりうる者は、もう当分考えられないようです。トータルな状況判断や、早出で遅メシも可能なタフさを兼ね備えている必要があるからです。


とはいえ、きたる夏の現場は厳しいです。
以前、当ブログで書いたように、炎天下の交通誘導は灼熱地獄。体質的に暑さに強い人もいますが、猛暑続きの一昨年、私は頭が焼けてしまい、今日出たら死ぬぞ、と直感して早朝会社に詫びを入れ、そのまま10日ほど仕事を休みました。頭がやられたら、私の最良の拠り所が失われてしまいます。警備の仕事は、確かに40代後半の私にかけがえのない社会的再生をもたらしました。が、自分には同時にもう一つ、どうしても譲れない志があり、ブログの副題にもあるとおり、精神復興への決然とした歩みを、ライフワークとして成し遂げなければなりません。

    ☆

話はややそれますが、3~5月にかけて新型コロナへの警戒が極度に高まっていた時期、私は現場に傾注していてスマホに時間を費やす暇はありませんでした。しかし画面を開けば嫌でも目に入ってくるのは、著名人や物書き・ネット論客らによる政治家憎悪と、党派性により分断された罵詈雑言のとめどない応酬でした。大状況が起きると我を忘れて悪者攻撃の輪にのめり込まずにはおれない、9.11や3.11の時と同じ低級でヒステリックな糾弾口調が言論界を見事なまでに覆い尽くしていました。


またダメだ…。


私は改めて同時代に自分の出番がないことを痛切に噛みしめました。以前ブログでも幾度か触れましたが、生来おくてな性格で、対社会的な気構えのできるのが極めて遅かった私にとって、文系の知の舞台ともいうべき言論界に、信頼するに足る知識人がゼロだったことは、大学卒業後の逡巡や迷走、引きこもりやワーキングプアへの転落の根本原因の一つだったのです。大学で所属したドイツ文学科など、その一例に過ぎません。


一方で今回は、失望ばかりではなく、意外な発見もありました。ネット上の少なからぬ意見が、政治家以上に、ジャーナリズムの偏向や独りよがり、非建設的な批判ありきの決まり文句にはっきりと引導を渡していたことです。また、著名人の意見に安易に流されず、当代一流のアスリートや劇作家・俳優らの見解に対しても手厳しい批判が寄せられていたのも新鮮でした。私がブログで再三指摘してきた、話題性万能のエンタメ志向や娯楽太りへの懐疑も、テレビ業界や増え過ぎた芸人へのうんざり感と捉えれば、意外と的を射ていたように思えます。


いずれにせよ、社会復帰によって気力も充実し、これからに向けて耐性を蓄えている今の私と、人を属性によってむやみに上げ下げするしか能がない、プラカードやシュプレヒコールレベルのポリコレインテリ界隈と。


どちらが本当の知的探究者だったか、当ブログを通読すれば、おのずと見えてくるでしょう。その時までなんとか今の仕事で頑張り抜きたいものです。