四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪100記事目、3年半の到達点≫

本日、はてなブログ開始からちょうど3年半を迎えました。


長期の無業失業ブランクの後で、警備員として社会復帰したのは、その前年2016年の1月。


まだその頃はネットでの発信ができるような精神状態ではありませんでした。1日でも長く仕事を続けて日銭を稼ぎ、生活困窮者自立支援制度の対象者として、これ以上就労支援員を失望させないためにも、仕事定着と生活立て直し、そして親と縁を切り恒久的な一人暮らしに向かえるよう、不安と緊張の毎日だったのです。


交通誘導警備員として飛躍のきっかけとなったのは、16年秋の大きな土木工事現場でした。率先して動く私のフットワークの良さを認めた監督から、しばらく私に仕切らせるよう会社に要請があり、私は12名ほどのメンバーを朝一各ポジションに振り分けたり、現場でセンターに立って工事車両を誘導する役にチャレンジしたのです。


経験十数年がゴロゴロいて検定資格者も複数いる中でペーペーの自分が指示を出して従わせる…。時には工事の段取りを自分が勘違いしていたり、片側交互通行でミスって厳しい視線を浴びることもありました。


しかしこの現場で管理職を含む多数の隊員たちと組んで最後まで大過なく終えたことで、私にも交通誘導2級資格を受けさせる機運ができたようです。翌年5月私は2級を取り、6月末にはいきなり都内白山通りのドーミーイン後楽園建設工事常駐隊長に抜擢されたのでした。


当ブログ『四時歩武和讃』は、ドーミーの工事が既存建物内部の解体を終え、外装・内装を一から造り直す、そんな時期に始まりました。そして、最初の2つの記事≪序文①≫≪序文②≫では、私の略歴とともに、長年の私の知的な問題意識やテーマが簡潔にまとめられています。

    ☆

そして2021年5月現在の私。


川崎の著名な医大病院敷地内の新病院棟建設プロジェクトで、交通誘導警備十数名の隊長=職長として働いています。


朝はいつも始発。それどころか、工事車両搬入時間の早まりに伴って、最近は自分の最寄り駅も、4時半の始発がある路線に変更し、その駅まで25分かけて自転車で通っています。また、現地に着くと、朝一搬入の大型車両群は自分が誘導し、7時からは次の早出の隊員らに託していったん詰所へ戻ります。


勤務中は業務用無線機とトランシーバー(インカム)を両方使います。無線機のほうで遠い各班との連絡を取り、トランシーバーで自分のグループのメンバーに指示を出すのです。さらにスマホで監督たちからの急な搬入や無茶振りの電話に応じるほか、職長アプリで送信される連絡・変更事項も時々チェックします。


現場の最上部には保育園があり、朝は保護者の送迎の車が急坂を登り下りして、朝礼後の作業員らの現場への動線とまともにぶつかります。さらに、工事車両どうしがかち合うこともあり、私は誘導灯を二本使って誘導する日も少なくありません。


朝から作業終わりまで、私の伝票にまとめられた各隊員の勤務時間チェック、運転手から預かった伝票や納品書などの提出、各ゲートの施錠や最終確認などがあるため、結局帰りも全隊員の最後になります。

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せめてもの幸いは、収入が増えて経済的な心配がほぼなくなったことです。


2020年、コロナ禍のさなかにも私はイオンタウンふじみ野新築現場の隊長としてフル出勤し、貯蓄額は予定を大きく上回りました。
この春からまた今の現場に定着したことで、引き続き収入が安定しているものとみなされたのでしょう。GW前、所有するクレジットカードの会社からインビテーションが来て、ゴールドカードから年会費を払って、ついにプラチナカードへの変更を果たすことができたのです。


来年こそはコロナ禍が下火になって、海外旅行を再開できるかもしれない。そのときプラチナカードがあれば各国の空港で相応のサービスが受けられます。俗物っぽく見えるかもしれませんが、私にとってプラチナカードは、わずか6年前、生活困窮者自立支援法の下でケースワーカーらによって就労準備支援プログラムが作られた無一文のころから今日までの、ほぼ警備一本で成し遂げてきた社会復帰のあらゆる再生努力の集大成であり認定証なのです。