四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪心に春が宿るとき 〜花見に思う回復の記〜≫

現場復帰からはや3週。


首都圏はおおむね好天続きで、防寒着必須だった吹きっさらしの冬晴れの合間に、時として穏やかでうっすら汗ばむほどの陽気が立ち現われるようになりました。


私にとって最も心に適う、密かな喜びの時節到来です。


社会復帰以前の、恥と失敗の歳月を別にすれば、有名私立中合格の12歳や、回り道して大学入りした20歳の春がそうでした。また30代以降、コミュ障ながら幾度かの非正規雇用下で持ち直していた頃の、春の陽気に誘われて出向いた登山や海岸ハイキングの思い出がそうでした。


安堵感や充実感と結びついたその開放的な心象風景は、引きこもりや孤立無業期の虚しい記憶を一掃し、長年愛聴し続けている交響曲交響詩のようなみずみずしい楽想のうねりを胸いっぱいに呼び覚ますのでした。


以前のブログでも記したように、45歳にして社会的再生の契機となった就労準備支援が始まったのも春でしたし、交通誘導警備業務2級を受けたのも春。初めての常駐現場隊長(ドーミーイン後楽園建設工事)を全うして、かつての就労支援員にお礼に伺ったのも春でした。


そしていずれの風景にも、時どきに咲き誇った花々の印象が興を添えているのが特徴的でした。(≪見越入道⑲≫・≪半年後に咲く花々②≫参照)


残念ながら昨年来、季節の風物詩だった花見の宴や庭園散策・鑑賞の催しは軒並み自粛を強いられました。たしかに、大勢で出向いての飲めや唄えだの、殊更にライトアップしての集客だのはもともとあまり好ましいとは思いませんでした。しかし、花を愛でる心自体は広く普遍的なものだと私は信じています。


そこで、思い出深い実例として、コロナ以前の体験の中から、2019年4月、2度めの韓国一人旅での花見の光景を振り返ってみたいと思います。


ソウルから南へ1時間ほどのスウォン(水原)。
水原華城という李氏朝鮮後期の一大城郭へ出かけた日のこと。世界遺産として人気も高く、城壁を踏破して華城行宮も丹念に観て回ると丸1日かかります。


私は八達山とよばれる西寄りの高台へ城壁に沿って登り、思いがけず満開の桜が咲き誇る車道に出たのですが、若い女性を中心に結構な人出で、何やらイベントが開かれていました。その場でははっきり判らなかったものの、横断幕のイラストや寄せ書き、キーワードから読み取れたのは、いわば敬老キャンペーン。京畿道の認知症センターによる、老齢者への感謝と愛を呼びかける催しだったのです。


でもいち日本人の目から見れば、行き交う人の大半のまなざしや華やぎはまぎれもなく桜の花見の光景でした。歩くにつれ眼下には行宮や市内の街並みが広がり、ひときわ目立つ教会の尖塔や、のどかに浮かぶ白い気球…。


よく見ると沿道には桜ばかりではなく、園内の黄色いレンギョウの花も満開で、モクレンの木も鮮やかな紫の花をいっぱいつけていました。


いずれも日本でごく普通に見られるこの時期の花々。ツツジもそう。でも社会復帰を果たし、念願の海外旅行を実現したその足で訪れた予期せぬ出会いには、何か沁みわたるような自己発見がありました。そしてこの穏やかな喜悦が最も自然にこみ上げてくる時節こそ、私にとってはほかならぬ春の到来なのでした。