四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪職長の責務を果たし終えて≫

交通誘導警備員として自己最長の19ヶ月半通い詰めた建築現場が、先だってようやく終わりを迎えました。

 

2021年3月下旬、まだ現場に送り込まれて10日ほどで、前任者に代わって急遽職長に指名され、以来、総員最大20名を率いて、医大病院の新しい本館となる建物の新築工事と、起伏に富んだ構内道路の作り変えに伴う車両誘導とをリードしてきた長丁場でした。

 

昨春にはまだ3基のタワークレーンと構台がそそり立ち、躯体は地下の土台部分で免震構造を固めている段階でした。それが1年あまりでヘリポート付きの12階まで建ち上がり、設備・電気・内装業者の怒濤の追い込みで8月末には内部もほぼ完成。それと並行して建物正面玄関に真新しい救急ロータリーが造り上げられ、現行の救急車出入口が工事の関係で袋小路となっている不便も来年には解消されることになります。

 

さらに2ヶ月あまりにわたるゼネコンや施主や消防や医療従事者らによる入念な検査と視察を経て、ついに10月31日、新入院棟という名の新たな本館建物が、聖マリアンナ医科大学に無事引き渡されたのでした。

 

最終盤の警備は構内道路の舗装工事で2〜4名体制となり、最後は1人で11月初旬まで残工事に対応しました。10月中は日曜も出ずっぱりだったため、今は責務を終えた安堵感から、半月くらいは仕事を休む予定です。

 

この現場は、埼玉から川崎市内までほとんど始発で通い続け、かつ残業で帰りも常に遅いという点で過酷でした。さらに、医大と病院の各施設が丘の上に点在し高低差があるため、坂や階段の移動で相当体力を消耗します。当ブログがめったに更新できなかった理由は、毎日が本当に目いっぱいだったからなのです。

 

それでも職長の役目を全うしえたのは、3〜2年前のイオンタウン大規模新築工事での隊長経験が活きたこともあるでしょう。また緻密でダイナミックな工程や示唆に富んだ搬出入の段取りなど、多様な職種が複雑密接に絡むがゆえの警備を超えた面白さに日々やりがいを感じていたからでもあります。監督や職長たちとの関係も良好でした。さらに、大学病院の本館を建て替えるプロジェクト自体、全国的にも稀にしかない光栄なことです。急性期医療や災害拠点病院としての機能を拡充したこの新館は今後かけがえのない地域の拠り所として存分に活用されていくことでしょう。私としては、聖マリ医大創立50周年の記念事業に託けて、いま53歳の自分の人間的・社会的再生をそれに準えてみたい思いもありました。

 

ちなみに、今回のプロジェクトはまだ続きがあり、現在は2期工事が終わった段階です。年明けから3期工事が始まりますが、警備員についてはうちの会社が選ばれるかどうかは未定です。(メンバーの殆どが神奈川から遠い、等の理由で。)すでに新館への医療関係搬入トラックの誘導は、病院側で別会社の警備員を手配し常駐させています。

 

しかし、仮にこれで聖マリは見納めだったとしても、職長を務めた19ヶ月間の軌跡は、その現物が既存建物群の背後に稜々と抜きん出ているように、私の心に輪郭鮮明な記憶として残り続けるでしょう。なぜなら、思うに建築とは、存えていくものを拵えることに他ならないからです。