四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪気構え身構え面構え≫

・前面道路通行止めの夜間工事で、鉄骨建方の最後の工区を組み立てる。

・その期間、日勤で常駐の私がスライドして夜勤に回る。

…そういう予定となっていましたが、直前になって結局元の日勤に戻されてしまいました。

 

理由は、相方の警備員の素行が悪くて、彼には日勤を任せられない、という現場所長からの通達にありました。

 

あまり触れたくなかったのですが、他の警備会社から最近移ってきたばかりの相方さんは、元運転手で様々な作業現場にも出入りしてきたため、車両特性に通じ、職人たちと馴染んでざっくばらんに話せるのはいい反面、何か気に入らない状況や指摘があると監督だろうが同僚警備員だろうがタクシー運転手や列車内の乗客だろうが差し出がましく喧嘩口調で噛みついていく悪弊があり、言葉遣いも汚く人間的には相当ガラが悪いのです。

 

私も当初から手を焼いていましたが、何せ現場状況に幾重も制約がかかるなか、私が大型車両(時にはトレーラー)を周辺道路から万難排して現場まで誘導してきたその先で、相方が目利きのごとく車両をしっかりとゲート脇へ寄せてくれるその手腕には、信頼すべきものがありました。人通りの爆発的な多さの中で、私と彼がそれぞれ最も得意とする役割を認識し連携することで、かろうじて昼間の鉄骨建方を無事故で成立させ得たのです。はっきり言って、他の同僚隊員には彼に迫る技量や好判断など望むべくもありませんでした。

 

ただ、現場に来た隊員からはことごとく嫌われ、3人体制の間、相方と3人目を一緒に立たせておくことすらほぼ無理なほどでした。幸い、西のメインゲート以外に南のゲートで搬出入もあるため、2人をそのつど振り分けておいて無駄な軋轢を防いでいた次第です。

 

現在、夜間工事担当のメンバーとも引き続き連絡をとっています。夜勤者は昼の猛暑を免れるうえに給与の割増がつくし、かたや私も、日中クレーンや15tトラックの厳しい誘導から解放され、路上で2度ぶっ倒れたほどの激務から、立哨時間の長い持久戦へと移行できて大助かりの感があります。

 

そうは言っても、建物の骨組ができたとなれば、今度は現場入りする業者もにわかに増えてきます。常駐する職長として私は、新規の各職方がどこでどんな作業をしに来たのか、現場案内を兼ねてトータルに把握しておきたいところです。搬入予定に無くても、各業者が独自に使う材料を配達便で呼ぶことも多いし、また近隣の2つの新築現場と間違えて資材を降ろしにくるトラックもよくいるため、それらを振り分け指図するのは私にしかできない役割だからです。

≪やっと終わりが見えてきて≫

猛暑到来の一歩手前、土曜日の怒涛の搬入/揚重ラッシュによって、ついに日中の鉄骨建方(建物全体の7割強)が屋上まで組み上がりました。

 

あと外部階段と手すりを搬入して最上階に据え付ければ、長きにわたった構台上の60tラフタークレーンの役目も終わり、お帰りとなります。クレーンオペレーターは前の現場(靖国通り沿い)でも建方の間たびたび来ていた人なので信頼関係が篤く、名残惜しいかぎりです。

 

それと同時に、残る構台部分もまた、昨年秋以来数々の大型重機(コンマ7のユンボ、テレスコクラム、25t〜100tのクレーン等)を支えてきた大役を終え、解体撤去されることになります。隣接する病院の角を15tトラックがギリギリ曲がってくる一連の厳しい工程は、覆工板とH鋼の搬出作業をもって一旦終了となる予定です。

 

あとは、週の後半から夜間工事へ。残る工区の鉄骨建方を8日間で完成させます。日勤専門の私ですが今回は事情により夜勤に回り、最後まで作業を見届ける予定です。

 

6/6からの建方期間中、メインの鉄骨搬入車両誘導はもとより、現場の顔として、隣接する病院や他現場への日参、仮設材搬入や各種溶接・斫り作業など並行する業者への対応に追われ、昼休み以外ずうっと道路に出ていました。疲労困憊の極みでしたが、本日ゆったり過ごしていたらだいぶスッキリしてきたようです。

 

交通誘導警備員として社会的再生を期し、生活自立を果たしてはや10年半になろうとしています。今の現場は2021~22年の医大病院本館建て替え大規模現場と並んで、私にとっては人生で最も高難度な試練の場となりました。しかし、それまでの無業引きこもりで失った歳月、そのグズで無価値で不毛な過ちを償うには、現在の高速フル回転でやっと社会人の端くれと認めてもらえる努力賞レベルかな、と率直に思っています。

≪鉄骨建方後半戦≫

鉄骨建方が始まってちょうどひと月経ちました。

 

不均等な『凹』の字型の敷地のため、建物も6つの工区に分けています。構台上に据えたラフタークレーン(はじめ100tのち60t)で鉄骨を搬入・揚重しながら、凹の字の右上から始めて徐々に左の区画へと建方を進めているところです。

 

現在は右半分3工区まで建ち上がり、残り45%弱。

凹の字の左上に着手し、週の終わりにはそこまで終えて60tラフターを帰らせます。その後、構台を全て解体搬出し、ゲート内側を土で埋め戻したら、残る2工区・30%弱は、前面道路通行止めの夜間工事で今月下旬までに建方を完成させる予定です。

 

いまも毎朝、15tトラックでの搬入に先立って、隣接する病院に足を運び、曲がり角の患者さん専用🅿を1台分ご遠慮いただく許可を時間指定(最近は終日)で求めています。さすがに鉄骨工事のダイナミックな進捗ぶりと大きな音を目の当たりにして、そうした近隣さんも通勤通学の人たちも文句より諦めや興味が勝るに至り、見物人も散見されるようになりました。ただ相変わらず難しいのは、病院患者さんの車を1台のみは、白枠より前方に突き出して停めさせないと15tトラックが曲がれないこと。さらに、工事ゲート側へトラックを寄せるため、いったん交差点の先まで大きく頭を突き出させないとバックで寄せきれないことです。

 

また鉄骨工事と並行して、足場鳶の作業も本格化したため、仮設材搬入出などのトラックを別ゲートに着ける日もあります。警備員は3名体制にしていますが、そこも狭い道路で人通りが多く車両さばきが難しいため、私か相方の60代隊員でなければ対応できません。搬入出時間の急な変更などで西へ東へ散々振り回された先日、心身の疲労がピークに達していた私はついに息が切れ手足がしびれて路上でバタリとぶっ倒れてしまいました。

 

過去の大規模現場や炎天下の片側交互通行、また登山中にも同様の経験はあります。なので自販機でペットボトル飲料を2本買って頭からかぶるなどしてひとまず落ち着き、ほのかな無糖紅茶の香りを漂わせながら最後まで無事搬入を終わらせた次第です。

≪梅雨空と同じ色に染まりゆく日々≫

建方始まって3週間。

 

毎朝、搬入動線となる病院曲がり角の患者専用駐車スペースを1台分空けてもらうため、病院の正面扉が開くのを待って私が受付窓口へと(マスク着用で)向かいます。9時からの鉄骨搬入で大型トラックが何台来るのか、午前中いっぱいかかるのか等の見通しを説明し、許可を得て初めて搬入が可能になるのです。それに先立って、搬入動線を同じくする前方100m先の2つの別工事現場へも足を運び、そちらの大型搬出入予定も聞いて数に加えておかねばなりません。(なお急患の車が来た際は私が搬入を止めさせました。)

 

9時をまわると、通勤通学の人の波がいったんピークを過ぎます。そこで雑踏へ分け入るごとくラフタークレーンを構台へと入場させ、次に15tトラックを道幅いっぱい使って左折させ、ゲート脇へと寄せていきます。その後は鉄骨の柱や大梁小梁をトラックからクレーンで吊り上げるたびに、溢れる歩行者は歩道側へ遠ざけ、横を通り抜けようとする一般車は手前で一旦停止させ、吊り荷が去ったら通行させます。

 

鉄骨は、『建て逃げ』といって一番奥の工区をまず屋上まで組み終えてから、手前の工区を空けてクレーンが後ずさりする形で柱や梁を繋げていきます。するとだんだん敷地が手狭になり、部材を仮置きする余地もなくなって前面道路側への負担が重くなってきます。2週間後に建方が3分の2までできたら、残る手前の工区は前面道路を毎晩60tクレーンで塞ぎ、完全通行止めの夜間工事で10日間ほどかけて建方を完成させる予定です。

 

そのため、明日からの2週間が、日中(特に午前中)の車両誘導といい、揚重作業中の危険度といい、最も時間と手間を要し、日増しに病院側への駐車規制要請が日中いっぱいかかる状況へと拡大せざるを得なくなっていくため悩みは尽きません。

 

とにかく7月下旬まで、職長としてこの現場状況から逃れるすべは無く、夜間工事期間もスライドで私が担当する予定なので、気が重い毎日です。

助かっているのは、去年に比べて気温があまり上がらないため、いまだ空調ベストを用意せず冷凍ペットボトル飲料も持たずに済んでいることです。

 

早く仕事以外のテーマでもブログ記事を書きたいです。

≪二週終えての端的な所感≫

鉄骨建方の最初の工区がR階まで立ち上がりました。敷地の一番奥の広いエリアで、柱と柱を繋ぐ大梁が特に長いため、首振りのトレーラーによる搬入が必要だったのです(全12台)。

 

懸案だった曲がり角の病院患者駐車スペースの件は、結局、現場所長が逡巡している間に病院内のお偉いさんへ直接交渉しに行った警備員の私が、散々いびられながらも翌日条件つきで駐車制限及び工事車両の通行を認められるに至りました。

 

昨年秋から現場の交通誘導の顔として私が悪戦苦闘してきたのを見るに見かねての措置かもしれません。が、実は私は2021~22年にも川崎の医大病院の本館建て替え大規模現場で、工事車両誘導に全面的な支障が出たさい、協力願いのために病院内で先生と面会したことが2度あります。逆に医師や大学教授から病院の外でクレームを受けたケースもありましたが。

 

極度に緊張しながらも、渉外担当のような役目までいまの自分はやればできるじゃん、という確かな手応え。それは、私が子供のころから一貫して自分はこうだと決め込んでいた『引っ込み思案』『口下手』『おくて』な悩みや、先生に当てられると頭が真っ白になり固まってしまう『指名恐怖』『場面緘黙』などの弱点が、その思い込みを拗らせるといかに後年社会人としてのつまずきの種になるか、またその後の人生を『引きこもり』や『社会不安障害』で台無しにしてしまうものか、の残念な顛末でした。青年期の自己診断の誤りが今更ながら痛切に悔やまれてなりません。

 

折しも先日、私は2ヶ月ぶりに一人暮らしの父の部屋を訪ねました。ちょうど亡き母の誕生日でもあり、90歳を迎える父と少しばかり昔の話もしたのですが、父もさすがにもう私の過去を咎め立てはせず、遅まきながら生活自立し元気に働き続けている警備員歴10年の私に一応の安堵感を見せていました。思えば1980年代、有名私立中高に通った程度で、さあ東大へ行って官僚・法曹・いい会社へ、などとナイーブに信じこんでいた父と母。かたや校風に馴染めず受験戦争批判のマスコミ論調に焚きつけられて一気に学業放棄の極論まで突っ走ってしまった幼稚な私。

 

過去を恥じる気持ちは終生変わらないにせよ、まだ捲土重来の余地はごく僅かながら残されています。そのためにこそ連日厳しい交通誘導に勤しんでいるのが今の私なのです。

≪苦役誘導、さらなる呪縛≫

鉄骨建方の車両誘導ががんじがらめの制約に苦しめられています。

 

前回述べた三重の困難、

①搬入車両が角を曲がれない、病院予約患者専用駐車スペースの取り扱い。

②一方通行の前方にある他現場の鉄骨建方搬入との絡みで、トラックを出すに出せない状況。

③中東系モンスタークレーマーによる(誘導中の声や笛への)興奮した怒鳴り込み。

…を念頭に置いて、6/6以降、連日鉄骨の柱や梁、デッキ・階段などを主に15tトラックで搬入してきました。

 

しかし大梁の長さの関係で、首振りのトレーラーによる搬入が加わるに至って、角を曲がる困難はもとより、病院側からの許可を得る過程で元請けと病院との認識の違いが露呈し、誘導で矢面に立つ私が病院側から即座に説明を求められ、所長や監督の代わりに厳しく叱責されるというまさかの苦しみを味わいました。同時に、手配済みだったトレーラーの到着時間を鉄骨鳶の職長に変更してもらい、予約患者の車を(診療が終わるまで)所定の位置へ駐車させるなど、突如前提が崩れた中で各方面の要請をどう両立できるのか、必死で考え、対応しました。

 

トレーラー(28t積載)で搬入する話自体、6/6先行搬入当日になって急に聞かされたくらいで、試しによこした1台めが手こずらずに角を曲がれたため、その後トレーラーでの搬入を増やされてしまったようです。

 

この1週間、想定外にして幸いだったのは、増員で来た警備員が、別会社から移ってきたばかりの経験者で、かつ建設業・工事車両運転手歴も豊富な、車両特性を熟知した60代男性だったことです。

 

現場監督顔負けに誰にでもずけずけ物言う性格のため、入社早々の現場で出禁を喰らい、社内では露骨に警戒されていますが、ことトレーラーや大型車の誘導(停車位置の修整)では、こんな上手い人を見たことがありません。おかげで、トレーラーを引っ張ってきて角を曲がらせ、ゲート側へだいたい寄せるところまでは私がやり、そこから一度交差点に頭を突き出させ、車両全体をゲート寄りへ微調整する役は彼に任せて、私はあふれる通行人を歩道へ誘導する…。

 

そんな役割分担で、トレーラーの脇を一般車が一応通れるスペースが確保できるようになったのです。(通行の可否は私がT字路で判断。ギリギリの時は車の前を先導して私がトレーラーの先まで誘導。)

 

先述した3つの懸念材料のうち、外国人クレーマーの件は影が薄れ、他現場の鉄骨建方はあと1週間で区切りがつきます。(残る工区は夜間工事のため)

 

あとは病院の件が少しでも心証良くなるように、現場の所長や監督たちの配慮を強く願うばかりです。

≪重くのしかかるトリプルバインド≫

ついに鉄骨建方が始まりました。

 

まず初日、早出で100tラフタークレーンをT字路からギリギリの幅で誘導。ゲート前に私が敷き並べたゴム製段差解消スロープやバタ角(角材)を緩衝材として、左折入場で上り坂の構台へとおもむろに登っていきます。それでもなお車体の傾きで危うく後部バンパーが路面をガリッとえぐりそうになる寸前、後輪の前に予備のゴムスロープを逆さにして投げ込むという私の荒業で、タイヤが数センチ浮き上がり、無事無傷でクレーンを構台に乗せきることができました。

 

これも昨年秋以来の60t〜25tラフタークレーン入退場時の悪戦苦闘の賜物です。構台の斜度や道路幅の狭さから、過去にはどうあがいても無理だった路面の削り跡や道路標識への接触などもありました。

 

しかし、クレーンに続いて、いざ9時からの15tトラックでの鉄骨搬入となると、ただでさえ困難な都心駅近通勤通学のべらぼうな通行量の中で、さらに3つのどうにもならない制約が加わります。

 

一つは曲がり角内側の病院患者専用駐車スペース(2台分)。

ここにまともに1台でも停まると、大型トラックは曲がれません。かろうじて、白線枠より1~2m前へはみ出して停めさせればトラックはなんとか通行できますが、今度は現場に横付けする際、後ろの患者さんの車を気づかって、トラックを寄せる調整の余地が狭まります。まして現場の出口側は人通りの絶えない交差点(信号なし)だからなおさらです。

 

2つめは、前方で同じく鉄骨建方を進めている別工事現場との兼ね合いです。そちらは道路使用許可を取って前方国道側からバック誘導で大型車両を引っ張り込んで横付けします。が、その脇をこちらの大型車両がすり抜ける余地は全くありません。

 

7tトラックまでなら、こちらの現場前交差点から右方向へ私が注意深く誘導すれば退場させることも可能なのですが、その道路も含めて、動線がすべて一方通行のため、こちらの大型車両は前方現場の大型車両横付け中は身動き取れないのです。

 

そして3つめの制約は、以前にも書いた中東系モンスタークレーマーによる、私の誘導に対する三たび怒鳴り込みの可能性です。何しろ通勤通学の人の波・自転車バイクLuup・停車中の配達トラックやタクシー、バスの往来、他現場の(鉄骨以外の)搬出入車両が錯綜する中で、必死に誘導していても想定外の場面が次々と現れます。以前はそのつど大きな声かけで指示を出し、初期には笛も常用していましたが、同クレーマーに恫喝されて以来、笛は軽めに1~2回のみ、声もあまり張り上げられず、危険な場面にどうふるまうのか緊張の持続で身がもたないほどです。

 

鉄骨工事業者の職長も、矢継ぎ早に次のトラックを呼ぶ強気なタイプなので、絶望的な闘いとなりそうです。交通誘導警備10年と5ヶ月めで、おそらく最大の困難に直面しています。

≪今後出会いうる何者かのために≫

この半月間、きたる鉄骨建方を前に、地下の型枠解体搬出等と並行して、主に建物周りの外構工事を行っていました。

 

たとえば、山留材として外周部を等間隔で支えているH鋼という鋼材を、その間に詰まったソイルセメントという止水壁を斫りながら数十センチの深さでガス切断して取り除きます。その跡へ砕石を敷いて締固め、配筋し木の枠で囲み、基礎の生コンを打設して土台とし、その上に真新しいブロック塀を丁寧に施工していく、そんな一連の土木工事です。

 

当現場は土工事〜地下躯体工事に多大な労力を要し、昨年9月の1次掘削工事から始まって5月末の地下型枠解体搬出完了まで丸9ヶ月かかりました。その間に、工程上拮抗していた近隣のビル新築現場(地下階なし)は先んじて鉄骨建方を進め、一部はもう屋上(50m)の高さまで到達しています。

   ☆

それにしても、現場は生き物なので、計画通りにいかない業者間の調整や予定変更は日常茶飯事です。施工管理アプリ『Buildee』で予め現場配置図を確認し、朝礼では監督自身も明言していた搬出入車両予定が、わずか2、30分後には順序も搬入口も変更され、かつ追加・同着となるなどよくあることです。私は密かに『朝礼後改』(朝令暮改)と名付け、苦々しく思いつつも身一つで敏速に対処しています。腹が立つのはむしろ、無連絡や運転手の道迷いなどで交差点にて到着まで延々と待たされるケースです。但し、個人的な信条として、搬出入車両がひとたび到着できたら、不機嫌は絶対に引きずらず、運転手を気持ち良く送り出せるようきれいさっぱり態度を切り替えること、これは肝に銘じています。

 

周知の通り、交通誘導警備員は還暦以上の人が多いのですが、かつての本職を離れて以降、何らかの不満な境涯を託ちながら警備の仕事を続けていて今さら転職は難しいためか、終日無愛想でぶっきらぼうだったり、ギャンブル以外関心が無かったり、些細な事で怒り出して手に負えなくなるなど、扱いにくいオジサンや爺さんが少なくありません。私とて既に56歳なのですが、長い社会的ブランクに加え、青年期に線の細い高等遊民的な人文系インテリを志向していた影響もあり、同年代の中では昭和の匂いが殆どなく、テレビも無し、見た目も趣味も身のこなしや言葉遣いも実年齢より一回りは若く見なされます。(顔は焼けてますけど)。

 

なので、自身嫌だな厄介だなと感じてきた年配者特有の横柄で執拗なウザ絡みは反面教師として固く自らに禁じているのです。

 

率直に言えば、いまの仕事を続ける中で、ゼネコンの監督や各職方並みに私の社会的再生意欲をそそる警備員の同僚はもう見出せないかもしれません。話し相手としては、警備会社の管制たちも皆かけがえのない存在なのですが。昨年秋以来ブログの更新頻度をやや上げているのも、やはりどこかで別の回路に触れる必要があると感じるからなのでしょう。

≪工事ラッシュと人流の狭間で≫

都心駅近、工事も日射しもいよいよ熱気マシマシです。

 

まず当現場は、GW前後にいったん乗入れ構台を全部解体撤去。複雑に入り組んだ地下1階の躯体を鉄筋と型枠で入念に組んで生コン打設し、明日あさってまでで地上1階の床が敷地全体にわたって平らにつながります。その後直ちに構台の復旧工事に入り、来月からの鉄骨建方に備えて構台の横幅をあと1m拡張。鉄骨を積んだ大型車両が狭い前面道路から少しでもゲート寄りに横付けできるようにする予定です。

 

これと並行して、同じ搬入動線で別ゼネコンが手掛ける近隣の新築現場の方も、国道側からの車両バック誘導により、着々と鉄骨建方を進めています。そちらは既に高さ30mまで到達。統括所長自らが笛とメガホンで揚重作業の陣頭指揮を執っており、私は毎日その統括と、交通誘導の有資格常駐警備員に会ってはお互いの搬出入予定を伝え合っています。

 

他にも、その真向かいの別工事は建柱車を入れて敷地の外周部に穴を掘っており(山留工事)、時折予告なく大型車両を呼び入れることがあります。

 

これら3工事がみな、工程上どうしても騒音を伴ったり、大型車両通行のたびに人混み・一般車等の一時停止を余儀なくさせるので、先日の外国人モンスタークレーマーに代表される怒号や難詰、あるいは事故寸前の無理くりな強行突破など、いつ何が起きるか予測不能なところがあります。今までに警備の職長として常駐した5つの現場と比べても、いや、5現場もの経験をもってしても、ここの車両誘導は最も苦役に近いと言えるほどです。

 

 

じつはGW明けのブログとして、1~2ヶ月に一度訪ねている一人暮らしの父(来月で90歳)への複雑な思いだとか、私自身の(転職も含めた)今後の生活再建への見通しについて、しばらくぶりに本音ベースで述べてみるつもりでいました。しかし、やはり仕事で現場にかかりっきりだと、やりがい搾取ではないですが、監督や他職からの急な要件に忙殺されて、そんな『思い悩み』を綴っていられるほど暇じゃ無いのも事実です。登山など趣味の話は、同僚や職人に同好の士が全くいないため、せめてブログに喜びの記録として吐露しておきたいから載せている次第です。

≪和毛のような山肌に包まれて≫

貴重な連休の後半、疑う余地のない晴天に合わせて、群馬の名峰・赤城山に登ってきました。

 

実は遠い昔1994年の初夏に、車の免許を取って初めて父の乗用車で山道を運転してきたのがこの山でした。その時は鳥居峠という場所に駐車し、曇り空の下、大沼湖畔から最高峰の黒檜山のみを往復しています。

 

2000年頃からはペーパードライバーとなる一方、関東周辺の主な山はローカルバスによるアプローチも活かしてかなりの数登っていました。10年前、警備の仕事に定着したばかりのその夏、南アルプス単独行で下山中に滑落、肩を脱臼して病院送りになった苦い経験から、以後はより慎重を期して臨み、できるだけ晴天かつ展望の愉しめる山を選んで登るようにしています。

 

赤城山初登時は天候にお構いなくピークハントしただけに終わり、記憶に残りませんでした。

 

そのため、今回は登山口まで季節運行バスを利用し、駒ヶ岳を通って黒檜山へ向かう陽だまりハイクを味わうことにしました。

 

10時前、登り始めて間もなく、上から細かい破片がパラパラ頭に弾けます。木々の枝に張りついていた霧氷が溶けて四角くバラけ、雹のように降り注いだもので、中には尖った破片もありうっかり眼を上へ向けるのが危険なほどでした。

 

バスから眺めた山頂部は白茶けて一見残雪があるように見えましたが、実際は山肌を覆う木の枝に矢羽根のように付着した霧氷が白く光って見えていたようです。

それも春の陽気ですっかり緩み、おそらくこの日の日中までに、ほぼすべて溶け落ちたと思われます。最初のピーク・駒ヶ岳山頂(1685m)から見た黒檜山(1828m)の写真に、その儚い痕跡をとどめておきました。

百名山で若い登山者も多く、急登箇所には鉄階段が整備されて歩きやすいなど、韓国の山を思い出します。また、2つの山頂以外に数分で行ける絶景ポイントの標識があり、それが予想を上回るパノラマで、立ち去りがたいほどの収穫でした。

北西(左側)から、頂上の広い苗場山、(鉄塔の上に)平標山と仙ノ倉山、そして万太郎山から谷川岳への長大な稜線、右に朝日岳。すべて過去に登頂・縦走した思い出深い峰々です。

 

さらに黒檜山の先まで行けば、この写真では隠れている武尊山から北東側へ、至仏山や燧ヶ岳、日光白根山や皇海山(いずれも百名山)がくっきり見えます。ついでながら、方向は全然違いますが道中富士山の見える場所もあって、ややモヤってはいたものの、写真にも映り、気づいて歓喜の声を上げる人がいる点ではやはり特別な存在のようでした。

 

この日はまさに快晴で、山を好むすべての人が思い思いにくつろいで、いい笑顔をしていました。

 

GWが終わればまた思いも寄らない俗悪なトラブルに直面して報われない気持ちで終日ふさぐこともあるでしょう。でも、上記のような清新溌剌としたパッションを思い出し、また次の山行まで期待を繋ぎ留めたいものです。

 

最後に下山路から見た大沼と赤城神社。どこかに富士山が隠れているかも。

≪工程に託すトータルな視座への思い(後半)≫

GW5日間の現場全休に入りました。何よりまずは体を休めています。(5/1の晩、疲労の蓄積で太ももが左右ともに攣ったため。)

 

一般に警備員は日給制なので、仕事に出なければ、またお呼びがかからなければずーっと休みで無給です。しかも、近年の働き方改革で大手のゼネコンでは現場の土日休みが徹底され、中堅・地場のゼネコンも順次それに追随。果ては建築資材やレンタルの会社で土曜の配達をとりやめる所も出てきました。

 

そのため、私と同じく新築や解体の現場に常駐する警備員でも、土曜分の稼ぎが消えたため生活がより厳しくなり、家賃などの支払いに窮したり、数少ない土日祝の駐車場警備をめぐって争奪戦になったりしています。GW中のわずかな仕事、保安や巡回警備もみな職長クラスが押さえたようです。最近の物価高もあって、確かに週5日未満(旗日や雨天中止などで)の勤務だとアパートや寮では暮らしていけないのが実情でしょう。むしろ、ある程度元気な年配者が年金プラス週3、4日働くことで、メリハリのきいた生活と判断力を維持できる、そんなタイプのベテラン勢が結構頑張って生き残っています。

   ☆

それにしても、交通誘導警備という、2016年正月まで全く視野に無かった仕事に、介護職に失敗した直後、1日でも早く日銭を稼ぐためだけに応募し面接に行った、社会的ブランクの塊のような私。ノースキルで文弱で、過去の懶惰を恥じ、取り返しのつかない悔恨のあまり世間一般を前に端から打ちひしがれていた私。

 

情報化社会以前に精神形成され、有名進学校内で校風に馴染めず萎縮・孤立したまま心を閉ざして10代を棒に振ってしまった経緯を思うと、昭和の時代には皆無だった職業教育の重要性や、狭い受験競争に特化しない多様な生き方・生存戦略に早くから目を開かれる必要性、それを今さらのように痛感せずにはいられません。

 

いまSNSなどで自分を発信する術に長け、開かれた知識や膨大な情報・意見を取捨選択して迅速に自己形成を遂げていく早熟柔軟なインフルエンサーたちの屈託のない行動力を見ていると、時に私ごときが今さら発信する意味などあるのか? 一警備員として社会の片隅であたふたと車両を追い回しているのがせいぜいの単なる半端者じゃないか、とやりきれない自己嫌悪に陥るときがあります。

 

でもたとえ悪あがきだとしても、社会復帰と生活自立で丸10年、ビル新築工事の工程を日々目の当たりにしながら、各職方の動きに学び、資材搬出入の段取りに学び、さりげなく図面を覗いて見ては次回生コン打設量(立米数=㎥)を算出して当日当てっこしてみたり、監督の親方への指示や施工上の議論まで聴き齧っては、その内容をつぶさに理解しようと努めることは果たして無駄骨に過ぎないのでしょうか?

 

なぜなら、そこには文字通り建設的な総合精神が脈打っているからです。もとよりゼネコンという呼び名自体、総合建設会社の略称です。工程が進むにつれて職種も移り変わり、地下躯体工事が終われば地上の鉄骨建方が始まって、見た目にも俄然ダイナミックな構築感が漲ってくるでしょう。このブログの初期の記事でも、紙面いっぱいにダイヤグラムよろしく錯綜して描かれた工程表を、管弦楽曲のフルスコア(総譜)になぞらえて読み解こうとしたりしています。

 

結局、私本来の気質や資質が、こうしたトータルな視座を渇望してやまないのだ、と、遅まきながら気づかされたわけです。それは学生時代、人文知の世界に偏狭な政治性やイデオロギーなんかではなく、クラシック音楽のような胸いっぱいに広がる豊かさやみずみずしさを求めていたこととも繋がっています。また長きに及んだ無業引きこもり時代にも登山や海岸散策による精神的回復や充溢感を求めてやまなかった密かな心意気とも繋がっています。

 

おそらくその『四時、歩武』(絶えず歩み行く)精神こそが当ブログの究極的な存在意義なのかもしれません。

≪見てる人は見てる、認めない人は認めない≫

中東系モンスタークレーマーの恫喝まがいで心を折られて1週間。

実はその後も降板せず現場に常駐し続けています。

 

理由はいくつもあり、元請けやうちの警備会社からの支持や慰留がひとつ。

 

通行人のべらぼうな多さや搬出入車両誘導の難しさから、取って代われる後任がそうそう見つからないこともひとつ。 (信号のない交差点を斜めいっぱいに使って車道の幅ギリギリで急勾配の構台へユニック車やミキサー車をカーブさせながらバック入れ。出す時もポールすれすれにかわして出します。) 

 

また、工事ゲート前の車道が昨年来荒れてボコボコになっていたのを、ひと月前のL字溝付け替え工事に続いて、最近、元の建物の解体業者が車道全体を夜間工事で一気に本舗装してくれたため、現場周りが見違えるようにきれいになりました。停止線や『止まれ』の白字も眩しく、現場前の無秩序感やストレスが格段に改善されたのも理由のひとつです。

 

同じ搬入動線で同時進行する別ゼネコンの新築工事現場が前方にあり、そちらはもう鉄骨建方が始まりました。(鉄骨の搬入は反対の国道側から。)  他にも同じ搬入動線で新築と解体の狭小な現場がすぐ見える位置に1件ずつあります。これら3現場の作業状況を踏まえ、横付け車両の停車位置や出入りの頃合いを確かめてからでないと、こちらの大きなトラックや生コン車がどこにも出せなくなってしまいます。道路幅が狭くてすれ違いできないからです。

 

逆に、大型トラックが現場へやってくるとき、曲がり角手前に一般車(病院外来患者専用)が停まると車両が曲がりきれない話は以前も書きました。

 

こうした複雑な状況を見極めながら、その都度テキパキ動くとなると、かつて医大病院本館建て替え等の大規模現場で警備の職長を務めた経験値がやはり大きくモノをいうわけです。

 

MC(モンスタークレーマーを仮にこう呼ぶとして)ごときに潰されてたまるかという本音もありますが、先日たまたま巡回中の警察官にも直接MCの件で相談できたため、不安も和らぎました。笛はピッと短く一度しか吹かない誘導スタイルなので、あとは甲高い声を張り上げることだけ自制して、今後の難局を乗り切りたいと思います。