四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪二週終えての端的な所感≫

鉄骨建方の最初の工区がR階まで立ち上がりました。敷地の一番奥の広いエリアで、柱と柱を繋ぐ大梁が特に長いため、首振りのトレーラーによる搬入が必要だったのです(全12台)。

 

懸案だった曲がり角の病院患者駐車スペースの件は、結局、現場所長が逡巡している間に病院内のお偉いさんへ直接交渉しに行った警備員の私が、散々いびられながらも翌日条件つきで駐車制限及び工事車両の通行を認められるに至りました。

 

昨年秋から現場の交通誘導の顔として私が悪戦苦闘してきたのを見るに見かねての措置かもしれません。が、実は私は2021~22年にも川崎の医大病院の本館建て替え大規模現場で、工事車両誘導に全面的な支障が出たさい、協力願いのために病院内で先生と面会したことが2度あります。逆に医師や大学教授から病院の外でクレームを受けたケースもありましたが。

 

極度に緊張しながらも、渉外担当のような役目までいまの自分はやればできるじゃん、という確かな手応え。それは、私が子供のころから一貫して自分はこうだと決め込んでいた『引っ込み思案』『口下手』『おくて』な悩みや、先生に指されると頭が真っ白になり固まってしまう『指名恐怖』『場面緘黙』などの弱点が、その思い込みを拗らせるといかに後年社会人としてのつまずきの種になるか、またその後の人生を『引きこもり』や『社会不安障害』で台無しにしてしまうものか、の残念な顛末でした。青年期の自己判断の誤りが今更ながら痛切に悔やまれてなりません。

 

折しも先日、私は2ヶ月ぶりに一人暮らしの父の部屋を訪ねました。ちょうど亡き母の誕生日でもあり、90歳を迎える父と少しばかり昔の話もしたのですが、父もさすがにもう私の過去を咎め立てはせず、遅まきながら生活自立し元気に働き続けている警備員の私に一応の安堵感を見せていました。思えば1980年代、有名私立中高に通った程度で、さあ東大へ行って官僚・法曹・いい会社へ、などとナイーブに信じこんでいた父と母。かたや校風に馴染めず受験戦争批判のマスコミ論調に焚きつけられて一気に学業放棄の極論まで突っ走ってしまった幼稚な私。

 

過去を恥じる気持ちは終生変わらないにせよ、まだ捲土重来の余地はごく僅かながら残されています。そのためにこそ連日厳しい交通誘導に勤しんでいるのが今の私なのです。

≪苦役誘導、さらなる呪縛≫

鉄骨建方の車両誘導ががんじがらめの制約に苦しめられています。

 

前回述べた三重の困難、

①搬入車両が角を曲がれない、病院予約患者専用駐車スペースの取り扱い。

②一方通行の前方にある他現場の鉄骨建方搬入との絡みで、トラックを出すに出せない状況。

③中東系モンスタークレーマーによる(誘導中の声や笛への)興奮した怒鳴り込み。

…を念頭に置いて、6/6以降、連日鉄骨の柱や梁、デッキ・階段などを主に15tトラックで搬入してきました。

 

しかし大梁の長さの関係で、首振りのトレーラーによる搬入が加わるに至って、角を曲がる困難はもとより、病院側からの許可を得る過程で元請けと病院との認識の違いが露呈し、誘導で矢面に立つ私が病院側から即座に説明を求められ、所長や監督の代わりに厳しく叱責されるというまさかの苦しみを味わいました。同時に、手配済みだったトレーラーの到着時間を鉄骨鳶の職長に変更してもらい、予約患者の車を(診療が終わるまで)所定の位置へ駐車させるなど、突如前提が崩れた中で各方面の要請をどう両立できるのか、必死で考え、対応しました。

 

トレーラー(28t積載)で搬入する話自体、6/6先行搬入当日になって急に聞かされたくらいで、試しによこした1台めが手こずらずに角を曲がれたため、その後トレーラーでの搬入を増やされてしまったようです。

 

この1週間、想定外にして幸いだったのは、増員で来た警備員が、別会社から移ってきたばかりの経験者で、かつ建設業・工事車両運転手歴も豊富な、車両特性を熟知した60代男性だったことです。

 

現場監督顔負けに誰にでもずけずけ物言う性格のため、入社早々の現場で出禁を喰らい、社内では露骨に警戒されていますが、ことトレーラーや大型車の誘導(停車位置の修整)では、こんな上手い人を見たことがありません。おかげで、トレーラーを引っ張ってきて角を曲がらせ、ゲート側へだいたい寄せるところまでは私がやり、そこから一度交差点に頭を突き出させ、車両全体をゲート寄りへ微調整する役は彼に任せて、私はあふれる通行人を歩道へ誘導する…。

 

そんな役割分担で、トレーラーの脇を一般車が一応通れるスペースが確保できるようになったのです。(通行の可否は私がT字路で判断。ギリギリの時は車の前を先導して私がトレーラーの先まで誘導。)

 

先述した3つの懸念材料のうち、外国人クレーマーの件は影が薄れ、他現場の鉄骨建方はあと1週間で区切りがつきます。(残る工区は夜間工事のため)

 

あとは病院の件が少しでも心証良くなるように、現場の所長や監督たちの配慮を強く願うばかりです。

≪重くのしかかるトリプルバインド≫

ついに鉄骨建方が始まりました。

 

まず初日、早出で100tラフタークレーンをT字路からギリギリの幅で誘導。ゲート前に私が敷き並べたゴム製段差解消スロープやバタ角(角材)を緩衝材として、左折入場で上り坂の構台へとおもむろに登っていきます。それでもなお車体の傾きで危うく後部バンパーが路面をガリッとえぐりそうになる寸前、後輪の前に予備のゴムスロープを逆さにして投げ込むという私の荒業で、タイヤが数センチ浮き上がり、無事無傷でクレーンを構台に乗せきることができました。

 

これも昨年秋以来の60t〜25tラフタークレーン入退場時の悪戦苦闘の賜物です。構台の斜度や道路幅の狭さから、過去にはどうあがいても無理だった路面の削り跡や道路標識への接触などもありました。

 

しかし、クレーンに続いて、いざ9時からの15tトラックでの鉄骨搬入となると、ただでさえ困難な都心駅近通勤通学のべらぼうな通行量の中で、さらに3つのどうにもならない制約が加わります。

 

一つは曲がり角内側の病院患者専用駐車スペース(2台分)。

ここにまともに1台でも停まると、大型トラックは曲がれません。かろうじて、白線枠より1~2m前へはみ出して停めさせればトラックはなんとか通行できますが、今度は現場に横付けする際、後ろの患者さんの車を気づかって、トラックを寄せる調整の余地が狭まります。まして現場の出口側は人通りの絶えない交差点(信号なし)だからなおさらです。

 

2つめは、前方で同じく鉄骨建方を進めている別工事現場との兼ね合いです。そちらは道路使用許可を取って前方国道側からバック誘導で大型車両を引っ張り込んで横付けします。が、その脇をこちらの大型車両がすり抜ける余地は全くありません。

 

7tトラックまでなら、こちらの現場前交差点から右方向へ私が注意深く誘導すれば退場させることも可能なのですが、その道路も含めて、動線がすべて一方通行のため、こちらの大型車両は前方現場の大型車両横付け中は身動き取れないのです。

 

そして3つめの制約は、以前にも書いた中東系モンスタークレーマーによる、私の誘導に対する三たび怒鳴り込みの可能性です。何しろ通勤通学の人の波・自転車バイクLuup・停車中の配達トラックやタクシー、バスの往来、他現場の(鉄骨以外の)搬出入車両が錯綜する中で、必死に誘導していても想定外の場面が次々と現れます。以前はそのつど大きな声かけで指示を出し、初期には笛も常用していましたが、同クレーマーに恫喝されて以来、笛は軽めに1~2回のみ、声もあまり張り上げられず、危険な場面にどうふるまうのか緊張の持続で身がもたないほどです。

 

鉄骨工事業者の職長も、矢継ぎ早に次のトラックを呼ぶ強気なタイプなので、絶望的な闘いとなりそうです。交通誘導警備10年と5ヶ月めで、おそらく最大の困難に直面しています。

≪今後出会いうる何者かのために≫

この半月間、きたる鉄骨建方を前に、地下の型枠解体搬出等と並行して、主に建物周りの外構工事を行っていました。

 

たとえば、山留材として外周部を等間隔で支えているH鋼という鋼材を、その間に詰まったソイルセメントという止水壁を斫りながら数十センチの深さでガス切断して取り除きます。その跡へ砕石を敷いて締固め、配筋し木の枠で囲み、基礎の生コンを打設して土台とし、その上に真新しいブロック塀を丁寧に施工していく、そんな一連の土木工事です。

 

当現場は土工事〜地下躯体工事に多大な労力を要し、昨年9月の1次掘削工事から始まって5月末の地下型枠解体搬出完了まで丸9ヶ月かかりました。その間に、工程上拮抗していた近隣のビル新築現場(地下階なし)は先んじて鉄骨建方を進め、一部はもう屋上(50m)の高さまで到達しています。

   ☆

それにしても、現場は生き物なので、計画通りにいかない業者間の調整や予定変更は日常茶飯事です。施工管理アプリ『Buildee』で予め現場配置図を確認し、朝礼では監督自身も明言していた搬出入車両予定が、わずか2、30分後には順序も搬入口も変更され、かつ追加・同着となるなどよくあることです。私は密かに『朝礼後改』(朝令暮改)と名付け、苦々しく思いつつも身一つで敏速に対処しています。腹が立つのはむしろ、無連絡や運転手の道迷いなどで交差点にて到着まで延々と待たされるケースです。但し、個人的な信条として、搬出入車両がひとたび到着できたら、不機嫌は絶対に引きずらず、運転手を気持ち良く送り出せるようきれいさっぱり態度を切り替えること、これは肝に銘じています。

 

周知の通り、交通誘導警備員は還暦以上の人が多いのですが、かつての本職を離れて以降、何らかの不満な境涯を託ちながら警備の仕事を続けていて今さら転職は難しいためか、終日無愛想でぶっきらぼうだったり、ギャンブル以外関心が無かったり、些細な事で怒り出して手に負えなくなるなど、扱いにくいオジサンや爺さんが少なくありません。私とて既に56歳なのですが、長い社会的ブランクに加え、青年期に線の細い高等遊民的な人文系インテリを志向していた影響もあり、同年代の中では昭和の匂いが殆どなく、テレビも無し、見た目も趣味も身のこなしや言葉遣いも実年齢より一回りは若く見なされます。(顔は焼けてますけど)。

 

なので、自身嫌だな厄介だなと感じてきた年配者特有の横柄で執拗なウザ絡みは反面教師として固く自らに禁じているのです。

 

率直に言えば、いまの仕事を続ける中で、ゼネコンの監督や各職方並みに私の社会的再生意欲をそそる警備員の同僚はもう見出せないかもしれません。話し相手としては、警備会社の管制たちも皆かけがえのない存在なのですが。昨年秋以来ブログの更新頻度をやや上げているのも、やはりどこかで別の回路に触れる必要があると感じるからなのでしょう。

≪工事ラッシュと人流の狭間で≫

都心駅近、工事も日射しもいよいよ熱気マシマシです。

 

まず当現場は、GW前後にいったん乗入れ構台を全部解体撤去。複雑に入り組んだ地下1階の躯体を鉄筋と型枠で入念に組んで生コン打設し、明日あさってまでで地上1階の床が敷地全体にわたって平らにつながります。その後直ちに構台の復旧工事に入り、来月からの鉄骨建方に備えて構台の横幅をあと1m拡張。鉄骨を積んだ大型車両が狭い前面道路から少しでもゲート寄りに横付けできるようにする予定です。

 

これと並行して、同じ搬入動線で別ゼネコンが手掛ける近隣の新築現場の方も、国道側からの車両バック誘導により、着々と鉄骨建方を進めています。そちらは既に高さ30mまで到達。統括所長自らが笛とメガホンで揚重作業の陣頭指揮を執っており、私は毎日その統括と、交通誘導の有資格常駐警備員に会ってはお互いの搬出入予定を伝え合っています。

 

他にも、その真向かいの別工事は建柱車を入れて敷地の外周部に穴を掘っており(山留工事)、時折予告なく大型車両を呼び入れることがあります。

 

これら3工事がみな、工程上どうしても騒音を伴ったり、大型車両通行のたびに人混み・一般車等の一時停止を余儀なくさせるので、先日の外国人モンスタークレーマーに代表される怒号や難詰、あるいは事故寸前の無理くりな強行突破など、いつ何が起きるか予測不能なところがあります。今までに警備の職長として常駐した5つの現場と比べても、いや、5現場もの経験をもってしても、ここの車両誘導は最も苦役に近いと言えるほどです。

 

 

じつはGW明けのブログとして、1~2ヶ月に一度訪ねている一人暮らしの父(来月で90歳)への複雑な思いだとか、私自身の(転職も含めた)今後の生活再建への見通しについて、しばらくぶりに本音ベースで述べてみるつもりでいました。しかし、やはり仕事で現場にかかりっきりだと、やりがい搾取ではないですが、監督や他職からの急な要件に忙殺されて、そんな『思い悩み』を綴っていられるほど暇じゃ無いのも事実です。登山など趣味の話は、同僚や職人に同好の士が全くいないため、せめてブログに喜びの記録として吐露しておきたいから載せている次第です。

≪和毛のような山肌に包まれて≫

貴重な連休の後半、疑う余地のない晴天に合わせて、群馬の名峰・赤城山に登ってきました。

 

実は遠い昔1994年の初夏に、車の免許を取って初めて父の乗用車で山道を運転してきたのがこの山でした。その時は鳥居峠という場所に駐車し、曇り空の下、大沼湖畔から最高峰の黒檜山のみを往復しています。

 

2000年頃からはペーパードライバーとなる一方、関東周辺の主な山はローカルバスによるアプローチも活かしてかなりの数登っていました。10年前、警備の仕事に定着したばかりのその夏、南アルプス単独行で下山中に滑落、肩を脱臼して病院送りになった苦い経験から、以後はより慎重を期して臨み、できるだけ晴天かつ展望の愉しめる山を選んで登るようにしています。

 

赤城山初登時は天候にお構いなくピークハントしただけに終わり、記憶に残りませんでした。

 

そのため、今回は登山口まで季節運行バスを利用し、駒ヶ岳を通って黒檜山へ向かう陽だまりハイクを味わうことにしました。

 

10時前、登り始めて間もなく、上から細かい破片がパラパラ頭に弾けます。木々の枝に張りついていた霧氷が溶けて四角くバラけ、雹のように降り注いだもので、中には尖った破片もありうっかり眼を上へ向けるのが危険なほどでした。

 

バスから眺めた山頂部は白茶けて一見残雪があるように見えましたが、実際は山肌を覆う木の枝に矢羽根のように付着した霧氷が白く光って見えていたようです。

それも春の陽気ですっかり緩み、おそらくこの日の日中までに、ほぼすべて溶け落ちたと思われます。最初のピーク・駒ヶ岳山頂(1685m)から見た黒檜山(1828m)の写真に、その儚い痕跡をとどめておきました。

百名山で若い登山者も多く、急登箇所には鉄階段が整備されて歩きやすいなど、韓国の山を思い出します。また、2つの山頂以外に数分で行ける絶景ポイントの標識があり、それが予想を上回るパノラマで、立ち去りがたいほどの収穫でした。

北西(左側)から、頂上の広い苗場山、(鉄塔の上に)平標山と仙ノ倉山、そして万太郎山から谷川岳への長大な稜線、右に朝日岳。すべて過去に登頂・縦走した思い出深い峰々です。

 

さらに黒檜山の先まで行けば、この写真では隠れている武尊山から北東側へ、至仏山や燧ヶ岳、日光白根山や皇海山(いずれも百名山)がくっきり見えます。ついでながら、方向は全然違いますが道中富士山の見える場所もあって、ややモヤってはいたものの、写真にも映り、気づいて歓喜の声を上げる人がいる点ではやはり特別な存在のようでした。

 

この日はまさに快晴で、山を好むすべての人が思い思いにくつろいで、いい笑顔をしていました。

 

GWが終わればまた思いも寄らない俗悪なトラブルに直面して報われない気持ちで終日ふさぐこともあるでしょう。でも、上記のような清新溌剌としたパッションを思い出し、また次の山行まで期待を繋ぎ留めたいものです。

 

最後に下山路から見た大沼と赤城神社。どこかに富士山が隠れているかも。

≪工程に託すトータルな視座への思い(後半)≫

GW5日間の現場全休に入りました。何よりまずは体を休めています。(5/1の晩、疲労の蓄積で太ももが左右ともに攣ったため。)

 

一般に警備員は日給制なので、仕事に出なければ、またお呼びがかからなければずーっと休みで無給です。しかも、近年の働き方改革で大手のゼネコンでは現場の土日休みが徹底され、中堅・地場のゼネコンも順次それに追随。果ては建築資材やレンタルの会社で土曜の配達をとりやめる所も出てきました。

 

そのため、私と同じく新築や解体の現場に常駐する警備員でも、土曜分の稼ぎが消えたため生活がより厳しくなり、家賃などの支払いに窮したり、数少ない土日祝の駐車場警備をめぐって争奪戦になったりしています。GW中のわずかな仕事、保安や巡回警備もみな職長クラスが押さえたようです。最近の物価高もあって、確かに週5日未満(旗日や雨天中止などで)の勤務だとアパートや寮では暮らしていけないのが実情でしょう。むしろ、ある程度元気な年配者が年金プラス週3、4日働くことで、メリハリのきいた生活と判断力を維持できる、そんなタイプのベテラン勢が結構頑張って生き残っています。

   ☆

それにしても、交通誘導警備という、2016年正月まで全く視野に無かった仕事に、介護職に失敗した直後、1日でも早く日銭を稼ぐためだけに応募し面接に行った、社会的ブランクの塊のような私。ノースキルで文弱で、過去の懶惰を恥じ、取り返しのつかない悔恨のあまり世間一般を前に端から打ちひしがれていた私。

 

情報化社会以前に精神形成され、有名進学校内で校風に馴染めず萎縮・孤立したまま心を閉ざして10代を棒に振ってしまった経緯を思うと、昭和の時代には皆無だった職業教育の重要性や、狭い受験競争に特化しない多様な生き方・生存戦略に早くから目を開かれる必要性、それを今さらのように痛感せずにはいられません。

 

いまSNSなどで自分を発信する術に長け、開かれた知識や膨大な情報・意見を取捨選択して迅速に自己形成を遂げていく早熟柔軟なインフルエンサーたちの屈託のない行動力を見ていると、時に私ごときが今さら発信する意味などあるのか? 一警備員として社会の片隅であたふたと車両を追い回しているのがせいぜいの単なる半端者じゃないか、とやりきれない自己嫌悪に陥るときがあります。

 

でもたとえ悪あがきだとしても、社会復帰と生活自立で丸10年、ビル新築工事の工程を日々目の当たりにしながら、各職方の動きに学び、資材搬出入の段取りに学び、さりげなく図面を覗いて見ては次回生コン打設量(立米数=㎥)を算出して当日当てっこしてみたり、監督の親方への指示や施工上の議論まで聴き齧っては、その内容をつぶさに理解しようと努めることは果たして無駄骨に過ぎないのでしょうか?

 

なぜなら、そこには文字通り建設的な総合精神が脈打っているからです。もとよりゼネコンという呼び名自体、総合建設会社の略称です。工程が進むにつれて職種も移り変わり、地下躯体工事が終われば地上の鉄骨建方が始まって、見た目にも俄然ダイナミックな構築感が漲ってくるでしょう。このブログの初期の記事でも、紙面いっぱいにダイヤグラムよろしく錯綜して描かれた工程表を、管弦楽曲のフルスコア(総譜)になぞらえて読み解こうとしたりしています。

 

結局、私本来の気質や資質が、こうしたトータルな視座を渇望してやまないのだ、と、遅まきながら気づかされたわけです。それは学生時代、人文知の世界に偏狭な政治性やイデオロギーなんかではなく、クラシック音楽のような胸いっぱいに広がる豊かさやみずみずしさを求めていたこととも繋がっています。また長きに及んだ無業引きこもり時代にも登山や海岸散策による精神的回復や充溢感を求めてやまなかった密かな心意気とも繋がっています。

 

おそらくその『四時、歩武』(絶えず歩み行く)精神こそが当ブログの究極的な存在意義なのかもしれません。

≪見てる人は見てる、認めない人は認めない≫

中東系モンスタークレーマーの恫喝まがいで心を折られて1週間。

実はその後も降板せず現場に常駐し続けています。

 

理由はいくつもあり、元請けやうちの警備会社からの支持や慰留がひとつ。

 

通行人のべらぼうな多さや搬出入車両誘導の難しさから、取って代われる後任がそうそう見つからないこともひとつ。 (信号のない交差点を斜めいっぱいに使って車道の幅ギリギリで急勾配の構台へユニック車やミキサー車をカーブさせながらバック入れ。出す時もポールすれすれにかわして出します。) 

 

また、工事ゲート前の車道が昨年来荒れてボコボコになっていたのを、ひと月前のL字溝付け替え工事に続いて、最近、元の建物の解体業者が車道全体を夜間工事で一気に本舗装してくれたため、現場周りが見違えるようにきれいになりました。停止線や『止まれ』の白字も眩しく、現場前の無秩序感やストレスが格段に改善されたのも理由のひとつです。

 

同じ搬入動線で同時進行する別ゼネコンの新築工事現場が前方にあり、そちらはもう鉄骨建方が始まりました。(鉄骨の搬入は反対の国道側から。)  他にも同じ搬入動線で新築と解体の狭小な現場がすぐ見える位置に1件ずつあります。これら3現場の作業状況を踏まえ、横付け車両の停車位置や出入りの頃合いを確かめてからでないと、こちらの大きなトラックや生コン車がどこにも出せなくなってしまいます。道路幅が狭くてすれ違いできないからです。

 

逆に、大型トラックが現場へやってくるとき、曲がり角手前に一般車(病院外来患者専用)が停まると車両が曲がりきれない話は以前も書きました。

 

こうした複雑な状況を見極めながら、その都度テキパキ動くとなると、かつて医大病院本館建て替え等の大規模現場で警備の職長を務めた経験値がやはり大きくモノをいうわけです。

 

MC(モンスタークレーマーを仮にこう呼ぶとして)ごときに潰されてたまるかという本音もありますが、先日たまたま巡回中の警察官にも直接MCの件で相談できたため、不安も和らぎました。笛はピッと短く一度しか吹かない誘導スタイルなので、あとは甲高い声を張り上げることだけ自制して、今後の難局を乗り切りたいと思います。

≪苦渋の降板。モンスタークレーマーの憎悪激化で≫

地下躯体工事も順調に捗り、型枠建込みの途中経過を構台上から眺めるひとときが愉しく幸せに感じられた春爛漫の日々でしたが、それは突然終わりを迎えました。

 

きっかけは、私が当現場に来て前任者と入れ替わったばかりの昨年10月の出来事。その日のダンプ誘導が終わってゲート前で独り片付けをしているところへ、突然急ハンドルで一方通行の道へ逆走してきたワゴン車。慄いて、ダメだろう、と注意したところ、窓から顔を出した中東系外国人に逆ギレされ、オマエが朝からピーピーうるせえからどうたらと罵倒を始めてエキサイト。手がつけられなくなり揉めている間にまず現場監督が、次いで警察官が来るはめになりました。この男は自分の感情にどんどん加速度をつけて増長していく自己陶酔型で、そのくせ警察官が来た途端、しれっと車で走り去りました。が、その後の監督・警察官との話し合いでも、私の車両誘導は従来通りに行っていいと明言され、騒ぎは一旦解消しました。

 

その後、この外国人の再来を恐れて、私は笛の使用を自粛し、(人通りが絶えない交差点なのに)声と身振りのみでの誘導に徹するなど、対策は講じました。実際、それから半年近く何も起こらなかったので、記憶も薄れかけ、笛の使用もとっくに限定的に再開していたのですが、先日の夕方、今度は軽バンで堂々と一方通行逆走する車があり声掛けしたところ、あの時の男で、またも口汚く逆ギレ。しかし逆走の事実は押さえたので今度は警察を呼ぶぞと言うと、逆走のままバス通りへと走り去っていきました。

 

そして昨日、同じ軽バンが当現場の搬入動線を妨げるT字路曲がり角に停まっているのを発見。折しも、搬入動線を同じくする他現場の工事車両が角を曲がれず立ち往生する事態も発生したため、早く軽バン運転手が戻ってこないかと私は気を揉んでいました。

 

そんな昼前、ちらっとみたら例の中東系の姿が。すると向こうから「何見てんだよ、オマエこっちへ来い!」と怒鳴りだし、のっけから「責任者を呼べ!」「オマエは頭がオカシイんだこのクズ!」などと威嚇し喚き散らしながら現場内どころか詰め所にまで上がり込む始末。監督を呼ぶも、半年前の出来事は直接見てない人だったため、単なる激昂外国人と思ったか、そいつに言い返したりスマホを向けて撮影し始めた私の方を厳しく叱責することでしか男の興奮を鎮めるすべがありませんでした。

 

交通誘導警備員を10年間やってきて、理不尽なクレームや言いがかりはそれなりの回数経験しています。しかし工事が進めば雲散霧消するものが殆どで、ほぼ全部忘れ去りました。カスハラレベルのクレームはコンビニ/スーパー店員やコールセンターの方がはるかに日常的でしょう。但し、今回の件で極度にタチが悪かったのは、相手が都心で◯バブ屋等の商売を営んでいる中東系の経営者で、極度に押しの強い驕慢な性格だったこと。偏執的で高圧的な、一切聞く耳持たず喚き続けるリミッターの外れっぷりが一般日本人の理解の及ぶ剣幕ではなかったことです。徹頭徹尾攻撃的で、懐柔の余地は皆無。憎悪むき出しの殲滅戦的逆恨みは本気で恐ろしくなりました。

 

結局午後2時、現場を降りることを決めました。

 

あと数日、このクレーマーの影に怯えながら、時に増員し、引き継ぎをしていく予定です。

 

残念です。

≪工程に託すトータルな視座への思い(前半)≫

雨続きの後の休日、川べりを歩けば満開の桜が咲き誇り、水面には花びらの層がまだら模様となって浮かんでいました。

 

都心や神奈川の新築工事現場に常駐するたびに、長丁場のため一度は春を迎えます。花が好きな私は近隣の植栽や公園などで何か印象的な開花を見つけると、その現場の思い出と紐付いて、より鮮明に記憶に残るのです。それも春に限らず、桜やツツジに限らずです。

 

今の現場は都心駅近の飲食店街なので植栽は乏しいですが、誘導位置に近いビルの入口に房状に群れたアセビの淡い花が咲いており、それがしばしのアクセントになりました。

 

さて当現場の工事の前半の肝は、なんといっても地下深く切梁を3段架けた状態からの、基礎躯体構築。そして順次切梁を解体しながらの、B2階・B1階躯体工事のプロセスにありました。この工程では超重量物(最長9.5mの極太の切梁)の揚重・搬出を行うため、大型のラフタークレーン(60t)をゲート内へ留め置き、前面道路には15tトラックを目いっぱい現場に寄せて横付けしなければなりません。

 

その際、まずトラックが表通りから曲がってくる時点で内側に1台でも車が停まっていたらアウト、またはギリギリかすめるか否か。しかもその"車"とは、病院外来患者の車(大半が外車や高級車)なので、いつ現れるかは運次第、(病院の許可を得た)私からの駐車位置変更要請に協力して下さるか否かもその人次第なのです。

 

この大型搬出入車両誘導のプレッシャーこそ、当現場半年以上にわたる最大の緊張の種でした。 そして昨日ついに切梁解体が全て終わり、あとは構台上に置かれた残りの部材をことごとく搬出し、鋼材くずや使用済ブラケットなどを満載したスクラップボックスも出してしまえば、ひとまず難局を乗り切れるところまできました。あくまでもひと区切りですが。

 

結局、どこの新築現場においても、常駐する交通誘導警備員(職長)の厳しさというのは、その現場ならではの厄介な課題に直面した際、監督や他職職長たちと連携を取りつつも自分から主体的に動いて前に出なければ決して現場の信頼をかち得ないところにあるのでしょう。

≪清明の時節を前に厳しい試練≫

1月下旬に続き、またしても現場で風邪をうつされ、しんどい一週間でした。狭い詰所は道具や荷物も隙間なく置かれ、パイプ丸椅子で8人も座れば満杯ですが、特定の職種が早く来て占拠してしまうと、スポット業者らは荷物も着替えもみな構台上へ。特定技能や実習生など外国人の若者の中には、詰所内での他者への配慮や譲り合いに無頓着な人もいます。私の定席も取られてしまいました。

 

最近は雨の日も多く、構台上では食事もできず、スマホも出せず、ガードマンボックスは無いので昼休みは所在なく現場内外を逍遥。風邪はちょうど1週間かけて、突然の立ち眩み→止まらぬ鼻水→熱→痰→治りかけの空咳へと進行。私としては珍しく喉の炎症が起こらなかったため、声を出しての車両誘導に影響が少なかったのは幸いでしたが、週の最後、外構工事中に突然腹痛を起こして最後の1時間あまり仕事にならない苦しさで増員者に誘導を委ねるはめになりました。(胃薬を飲んだら間もなく解消。)

 

健康面ではこの10年間問題がなかったものの、コンビニおにぎりや菓子パン頼みの朝昼の食生活の悪影響が現れたのかもしれません。さすがに凹みました。

 

週明けからも、荒れた前面道路の舗装直しや、地下躯体の生コン打設など、警備を増員してのきつい誘導が6日間みっちり続きます。雨の日も多そうで、絶え間なく通る傘の歩行者への注意喚起など、いつも以上に神経を張りつめて対処する必要があり、休憩もろくに取れない長丁場となること必定です。

≪難題と共に這い上がる日々≫

地下躯体工事のまっただ中です。

 

地下駐車場となるB2階の床部分から、15人くらいの鉄筋工と圧接工が、柱や梁や、山留め壁に沿った躯体の壁などを大量の鉄筋で組み立ててB1階に到達。配筋検査を経て今度は十数人の大工が鉄筋の周囲に型枠を取り付け、パイプや支保工でしっかりと固定してコンクリート打設に備えます。よく見ると階段となる部分も型枠を組んであり、これはひときわ高度な技術を要すると見られます。

 

一方、交通誘導としては、これらの鉄筋や型枠を満載した7tトラックを、ゲート前の十字路に斜めいっぱいに突き出してから、狭いゲート内へゆっくりハンドルを切らせながらギリギリの幅でバック誘導して構台へ上らせます。山手線の駅に近い飲食店街で人通りが絶えない中、道の両側にはボラード(ポールの一種)と道路標識支柱がちょうど邪魔な位置に立ち、これまでも10tダンプや大型ミキサー車などを数百台ずつ捌いてきましたが、出し入れのたびに一度たりとも緊張しなかったことはありません。当現場入りして半年が経過しましたが、たとえ増員でベテランが来ても、車両は100%私が誘導しています。

 

私がビル等の新築工事プロジェクトに常駐するのは、これで6現場目です。最も大規模で大所帯だった大学病院本館建て替え工事がやはりトータルでは一番大変だったと思うものの、技術的な難しさや制約のきつさの点では、今の現場が一番厄介で、気苦労が絶えません。特に、現場の先にある別のゼネコンのビル新築工事の関係車両が、ことごとく同じ搬入動線で角を曲がってくるため、手前にいる私が両現場の車両を兼ねて誘導せざるを得ないこと(※追記参照)。また、その曲がり角というのが病院外来患者専用の駐車スペースになっていて、2台停められると大きなトラックは物理的に曲がれず通行できなくなること。

 

この2点を1日中気にしながら、普段は1人でゲート前にいて全ての雑務に対応しているため、知らず知らず疲れてしまうわけです。毎日始発列車で通っているのも、ほぼ確実に座って寝られるからに他なりません。

 

(※ 3/23、当現場にわが警備会社の所属営業所長が初めて抜き打ちで現れたため、この件も報告。他現場の誘導は事故った時の責任問題になるため本来厳禁です。その結論が改めて確認され、これで明日からは少し肩の荷が下りそうです。)