四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪見越入道 ⑤≫

オラトリオ見越入道
刻露清秀

〈2〉(続き)

陽だまりに見初められ
濃淡に揺れるまなざし。
今に至る遠流
喜びは切れ落ちたまま
夕梵は悲源に迫り、
生来の含羞は晩課にも似て
かがり火さえも闇夜にこわ張ることはなかった。


受益者は耳をそばだてもせず
忘恩は見ず知らずの労を消し去りもする。
だが通い路はやがて営力に
幽尋もまた通功易事に。
大旅行家は生涯かけて地上に見頃を迎え、
石板は元服と木立の間に
月齢は点眼と空濛の彼方に宿る。


(続きは次回)


前にも書きましたが、当ブログの詩は全て初公開。いずれも自らの創見と構成意志を妥協なく貫いたもので、無断転載・引用を禁じます。本来は幅広い人文学の知見をもった識者たちに繙いてもらい、詩による思索の書として数年がかりで一冊にまとめていく心づもりでした。


しかし現状、書籍は娯楽・実用・気休めか、特定の問題意識の「為にする」ものばかり。そういう時世や風潮は過去にも各国にありましたが、すぐうなずけるようなレベルの本は、どのみち跡形もなく棄てられてしまうものです。現代はいわば『話題制』。人間の価値が話題性の有る無しで分別されている奴隷制です。話題になりさえすれば勝ち組。金も真理も喧騒目当てにすり寄って…。そういう風潮が心底イヤで、沈黙したまま埋没してしまった「奴隷」(高学歴プアや引きこもりなど)って、潜在的にかなりいると思います。私なども遡れば80年代バブルの頃からその種の嫌悪感に悩んでいましたが、いまや話題性のみが世界中を買い占める一大原則のようになってしまいました。


社会復帰を果たしたいま、願わくはこのブログが、詩作の質において『話題制』に一矢報いるものとなっていれば幸いです。