四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪炎天下、国道規制の矢面で≫

ブログ更新が間遠になり、日々の業務に忙殺されてモチベーションさえ遠のいていく…。

 

交通誘導警備の7年半、前半生の失敗と社会的ブランクの長きを克服・挽回すべく、倍々速で生き改める覚悟で経験を積んできました。

 

6月からは横浜の新築現場を担当し、国道1号に面した激狭の地で今は地下躯体工事の後半戦。鉄筋をジャングルジムのように緊密に組み上げ、周りに型枠を張り巡らせて締め付け終えたところでお盆を迎えました。

 

わずかふた月半の間に、杭工事・掘削・山留工事等一連の工程を矢継ぎ早に推し進めたため、そのつど大型重機やトラック・ダンプの出し入れと第三者誘導には極度の緊張を伴いました。

 

とりわけ7月から、重量物の搬出入と場内揚重にラフタークレーンが必須となり、国道1号の片側一車線をつぶす形で規制帯を作る日がずうっと続きました。手前の信号までは三車線なので、流れてくる雑多な車両を一車線に縮める圧はもの凄く、しかも規制帯内の仮通路へ歩行者・自転車を迂回通行させるのにも素早い対応と隊員どうしの交信・連携が欠かせないため、気の休まる時がありません。

 

猛暑の炎天下で、朝は資機材の準備から、ラフター到着時のポール際ギリギリへ寄せる誘導。そして夕方5時のラフター退場と資機材片付けまで。

 

空調服ではどうにもならず、コンビニの冷凍ペットボトルを朝昼午後と買ってきては頭や首にあてがい、ちびちびと溶かし飲み、塩分は食卓塩をそのまま飲用しています。

 

それでも通行人には文句を言われ、聞く耳持たずの自転車やランナーには強引に突破され、暴走車には危うくはねられそうになり。

 

猛暑を迎えるたびに、もう警備は今季限りに、と思わぬ年はありません。でも一貫して前向きでいられるのは、一職業人に徹して正道を歩んでいる自覚と、一つの現場を全うすれば、また海外旅行や登山で自身の精神的充溢を図れるという期待があるからなのです。

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その一方で、このブログを始めた2017年時点ではまだ自分に近しいテーマだった、長期ひきこもりや無業・失業経験者としての悩み、については、コロナ前には実質解消しています。ただ、その後就労支援や社会復帰のための相談窓口が格段に整備されたにもかかわらず、無業者本人がなんら自発的に動かなかったり、当事者界隈の発信者などが屁理屈を並べて就労よりも安逸や生活保護申請を唆すようなサイトを見つけると、今は本気で嫌悪感と怒りを覚えます。

 

確かに、私自身も生来内気で端正、おくてな性格のため、有名進学校止まりで混迷し行き詰まった世間知らずの甘ちゃんでした。大学文学部での深い幻滅も、別の道へ転じる機転や努力に欠けていたし、就活も失敗。しかも、人文系特有の実社会軽視、斜に構えた権力批判的なスタンスが、現実社会の激流を生き抜いていく上で一片の役にもたたなかったのでした。

 

残念ながら、私が袋小路を抜け出す過程で既に30代半ば(主に物流倉庫作業)。さらに家族との泥仕合を経て生活困窮者自立支援制度の下で就労準備支援を受けながらの復活劇が40半ば。

 

それでも、初期のブログで書いたように、まっさらな心がけで介護の初任者研修を終え、警備に転じた時も自分から飛び込みました。どこかで自身が行動を起こさなければ、長期ひきこもりなど絶対に克服できないのです。

 

たかが警備員、底辺職の経験じゃないかと侮るなかれ。

 

当ブログ120回の軌跡を拾ってもらえば、私の社会復帰後の経験と、四時歩武和讃の詩篇とが、人目を惹く奇矯さや極論の類とは全く無縁の真摯な精神的葛藤を内包していることをきっと読み取れるはずです。