四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪寒空の下で指揮を執る≫

異例づくめの2020年も終盤となりました。


歴史に刻まれる今年は、自分にとっても(51歳にして)最良の社会的挽回を果たせた充実の年として刻印されることでしょう。思えば一年前のちょうど今日、韓国大邱・慶州一人旅から戻って直ちに遣わされた現場こそ、今年10月まで交通誘導警備の職長を務め上げた『イオンタウンふじみ野』新築工事に他ならなかったからです。


しかし一方では、現在の雇用情勢といい、生活困窮者の運命といい、実にむごい一年となりました。リーマンショック後に雇い止めを食らった私から見ても、格段に状況は悪化し行き詰まりつつあります。


2015年4月時点で自ら動いて就労準備支援につながったことが私には本当に正解でした。7ヶ月もかけて導いてもらったのに結局介護職には全然不適格だったけれども、職業訓練(初任者研修)という密接なコミュニケーションのおかげで否応なく就労再開への感覚がつかめ、取り急ぎ警備員という別の踏切板にも果断に跳び込めたからです。


その警備員となって4年10ヶ月。私にとっては長期ブランクから生きて出直す大変な道のりでした。でも世間的には5年やそこら屁のような扱いでしょう。実際、建築現場などで新規入場者の提出書類などをチラ見すると、30歳の職人でも経験年数15年とか、年配者ならその道一筋35〜40年超がザラにいます。私の属する警備会社でさえ、同業他社での前歴も合わせれば大半が10年選手かそれ以上です。


実社会で食べていくには本来それが当然の姿でした。なのに私は生来の臆病風と、有名すぎる進学校での不適応や世間知らずと、文学部学生特有の批判的言説による現実逃避のために、まともな職業意識も育たぬまま、時代の変化やダイナミズムに両親ともども取り残され、探究の空回りを続けて引きこもりなどというぶざまな歳月を空費してしまったのです。


ただ私の場合、人文系アカデミズムを覆う紋切り型のイデオロギーになんらの意義も見いだせないがゆえの寂寥感や苦悩は人一倍切実真剣なものでした。なので、社会的に立ち直りをみせた物流倉庫契約社員時代のように、自身の張りつめた探究が同時代からかけ離れた鉱脈を掘り当てる瞬間も確かにあったのです。(詩篇『オラトリオ見越入道』はその5年越しの結晶でした。)


あとはとにかく、食い扶持を稼いで生活自立し、職業人の一人となって遅まきながらネットに自身を顕し、その志を理解してもらうことが長期的な課題でした。


実は今年初め頃、警備以外への転職の可否についても個人的に調べてみるつもりでした。しかし繁忙期の現場で肝心の隊長が突如音信不通となり自分が代わりを引き受けたこと、そしてコロナショックの拡大による社会全体の動揺も重なって、今の仕事に自分が必要とされていることの有難味を知り、ひとまず転職の可能性は棄てました。

    ☆

冬場になって、最近の私の仕事は、神奈川県内のガス工事に伴う片側交互通行です。私の住む埼玉南部よりも全体に坂が多く、住宅地の交通量も多い上、陽が落ちるのも早くなり、1日片交を終えるとかなり疲れます。ただ、今年エッセンシャルワーカーという言葉で社会を下支えする地道な職業の価値が再認識されたように、ライフラインに携わる工事関係者はもちろん、その安全を確保する私ら交通誘導警備員にも欠くべからざる意義はある。そう信じてコンマ何秒単位の厳しい車両捌きに耐え忍んでいる毎日です。