四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪三年(みとせ)我が身を省みて≫

イオンタウンふじみ野』がついにオープンです。


周辺道路整備や駐車場の舗装なども含め、工事期間中、交通誘導警備の隊長(職長)を務めた者です。あれから、ちょうどひと月が経ちました。


思い起こせばきつい道のりでした。まず春先から延々続いたコロナへの警戒の持続。(結局現場では全く発生しませんでしたが。)


また、朝早い職人たちの大量の通勤車両を捌くため、7ヶ月の間ぶっ続けに5時始発列車で現場に通っていたことも忘れられません。


さらに、広大な敷地内の作業状況の見回りと各ゲート間のせわしない往復・伝達・休憩回し。


搬入出車両の捌ききれないほどの無茶振り対応…。


あまりの業者の多さと工程の複雑さに忙殺されて、当ブログの更新にしても、作業内容の記述にしても、終始駆け足で端折ったものになりすぎたかな、と読み返して反省しています。


けれども、大きな現場での達成感は、日が経つにつれひたひたと心に染みわたってゆきました。2年半前、初の常駐現場を10ヶ月全うしたドーミーイン後楽園の時と同様に…。ただ当時ほどの高揚感がないのは、それだけ経験を積んだ証でもあるし、また今回は現場明けにせっかく有休を取ったものの海外旅行など望むべくもない閉塞感のためでもあるでしょう。

    ☆

一方で、当ブログ自体もついに丸3年を迎えました。


≪序文①≫と称した初投稿で、おずおずと自身の略歴を述べてネットデビューしたとき、一人暮らしこそしていたものの、まだ両親や弟との不信の跡は濃厚に燻っていました。過去のいざこざや断絶を克服するまでには、なお相当の紆余曲折があると予想されたのです。


しかし、先述のドーミーイン現場完了以降、私自身も変わりました。済州島一人旅を皮切りに昨年12月まで3度韓国を旅したほか、昨年は母が死去し、実家も売却。それを機に父との関係も劇的に改善しました。つまり過去のしがらみ・わだかまりをさっぱり棄ててリセットし、残りの人生で能う限り新規な立場で生き直そうという方向へ明確に舵を切ったのでした。


実際私は、今年に入ってクレジットカードもゴールドに切り替わり、コロナ禍の鬱屈した世情と逆行するように、警備の職長としてイオンの現場で生気はつらつと奮闘しました。その間に、当初ブログのテーマにあった長期引きこもりブランクの葛藤などは、もはや取るに足らない些事となって雲散霧消しました。コロナ下で社会を下支えするエッセンシャルワーカーという総称が広まったように、一般人の誠実で献身的な業務すべてにこそ本物の価値があるのだと、はっきり見えてきたからです。


現在、しばしの有休も終わって都内とさいたまでまた交通誘導に従事しています。今年は去年までより勤務日数が多く、残業分も加わって、収入が増えたぶん社会保険料がドーンと跳ね上がりました。税金もおのずとそうなります。それは痛いですが、過去の引きこもりや無業期に十分社会的義務を果たさなかったツケをいま払わされているんだ、そう思って納得している次第です。