四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪真率という価値の復権≫

5/4(月)遅ればせながら私もやっとGWに入りました。


それまで丸2ヶ月間、日曜以外は休工なしの当現場にて、連日6:30から18:00まで、警備の職長として各ゲート前で交通誘導を務めていたのです。


作業員総勢350人体制の大規模工事で、いわゆる3密の最たる現場。しかしショッピングモール本体棟も着々と完成へ向かう流れの中で、施主の意向もあり、緊急事態宣言下にあってもひたすら工事続行。4月末には一足早く新郵便局棟が完成してJP側に引き渡しを終えました。


工事を止めるゼネコンも増えていた中、ハイリスクな環境ながら営々と稼働し続けるこの現場に、私の周囲の警備員たちも、増員の声がかかるのを虎視眈々と待ち受けていました。


もともと今の時期は3月までの繁忙期の後で警備の仕事は急減します。が、今年の場合は建築だけでなくGWのイベント警備が全滅するなど事態が深刻なため、他の多くの業種と同じく、できる人でも自宅待機を余儀なくされる例が少なくなかったのです。


今後、まだまだ道路拡幅工事や現郵便局建物取り壊しなどが控えているため、この現場はそのつど増員をかけるでしょう。増員の有無は土木の工事監督が決めます。でも私ら常駐者の早出の必要人員や、別班増員メンバーの中に道交法上、有資格者を1名加えるか否か、など、会社(管制)に伝える配置条件を決めているのは私です。


実はGW休工中も、工事エリア全域を巡回する保安警備の仕事があります。先日も、「こんな(勤務日数)じゃ生活できねぇよ」とシフトアピールしてくる隊員がいました。結局隊長の私は、自分の休養欲しさもあって、昼夜16勤分もの保安の仕事を彼らにほとんど振り分けてしまいました。

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それにしても、何という立場の逆転…。かくいう私こそ、4年半前まで所持金ゼロの正真正銘「生活できねぇ」無業者でした。就労支援員らの後押しで、ハローワーク職業訓練に応募し、悪く言えば税金を使ってまで介護初任者の資格を取り介護職に就きながら、翌月には全くの不向きで離脱。


リーマンショック後の雇い止めや昨今のコロナ禍と同じく、茫然自失の体で、2016年正月早々天を仰いで虚ろに巷を徘徊していたのです。父や弟の侮蔑を一身に浴び、思い余って列車への飛び込みも十分ありうる状況でした。

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いま、まっとうな職業人として生きて出直すことができ、コンマ何秒で車や人や自転車や工事関係車両を交互に捌き続ける緊張の持続の中で、私の仕事意識は飛躍的に塗り換えられました。ブログを始めた2年半前から振り返ってみても、テーマの一つだった引きこもりブランクの葛藤などは今後もう取り上げる必要もないでしょう。それどころではない厳しい社会情勢の中で、私もとうに主導的な働き手の一人として真率に務めを果たす側にあるからです。