四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪出遅れた歳月、生き急ぐ日々④≫

警備員となった2016年から、はや4年が経とうとしています。


その直前、2015年の12月には、公共職業訓練で介護職員初任者研修を修了して最初の面接で老人ホームへの就職を決めながら、施設の閉塞感と適性の無さから3週間で辞めてしまい、激昂した父と凄まじく揉め、就労支援員も真っ青の修羅場に逆戻りしていました。


年明け早々フリーペーパーを漁って何も知らない警備の募集先に衝動的に電話し、とにかく日銭を稼いでいささかでも間をもたせる、その一心で飛び込んだのがこの仕事でした。


それがいまや…。ブログで綴ってきたような経験を日々重ねながら自身も成長し、隊長として一つの工事現場を工期いっぱい任されたり、催事や公の場で前面に立って誘導したりしています。引きこもりと社会不安と履歴書の空白と軽い吃りで10代から40半ばまであれほど長期にわたって自信喪失していたのに…。


しかもこのたび、来年にかけて、郊外のショッピングモール建設と周辺道路の整備という大型プロジェクトの交通誘導警備のため、新たな常駐者として現場に加わることとなりました。本体棟の骨組は一応でき上がり、連日の生コン打設や壁材・管材の大量搬入、別棟の鉄骨建方など、巨大なクレーンや重機がひしめく場内へトレーラーや大型トラックやミキサーやダンプを手際良く安全に出し入れするのが主な仕事です。


現場の朝礼会場には、さまざまな職種の作業員や職人が連日300人以上集まります。私が2年前に常駐した都内ビジネスホテル建設現場は最大でも100人規模でした。

     ☆


さて、ブログを始めて2年を過ぎ、いまの仕事の充実ぶりを顧みるとき、もはや引きこもりや孤立無業期の葛藤は完全に過去の物と化した感があります。母は没し、実家は明け渡し、父とは和解し、有名進学校出の恥ずかしさもとうの昔に雲散霧消し…。


一方で長年の友人とのドライブ・登山は今も続き、自身も韓国一人旅という新たな愉しみを見つけました。


当ブログでは、引きこもりの長期化や孤立無業の泥沼から何とか脱却したいと願う30~40代に向けて、一つの真摯な克服例を提示するとともに、社会復帰後の失地回復・捲土重来の積極的な努力に重きをおいて執筆しています。巷間、警備員といえば底辺だからと自虐モードに終始したり、或いはブランクを脱してせっかく何か定職に就いても狭い関心に閉じこもったままの書き手が殆どなのですが、私には精神復興への知的でやみがたい志があるからです。