四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪出遅れた歳月、生き急ぐ日々⑤≫

本年も警備の仕事を無事に完了しました。


勤務日数は244日。通常の日勤9時間以外に、12時間の仕事も1と数え、24時間の仕事は2でカウントしています。


2018年が276日なのでざっと30万の収入減ですが、これは2度の韓国一人旅など自己都合による長休みのほか、母の死去や父の実家売却に伴う一連の後片付けで出られない日が多かったためです。


でも、積年の親との懸案や軋轢がなくなり、自身も齢50に達して、だいぶ見通しも良くなってきました。(普通はむしろ逆ですが…)


10代から40代まで、各年代に空白期を有する私の経歴は、バブル末期から氷河期を経てリーマンショックにかけての、文系高学歴型引きこもり・ワーキングプアがたどった典型的な下降例に該当します。ただ、私の場合、気質的に『うつ』にはならず、メンタルな診療ともほぼ無縁。時代性や党派性や娯楽性に飽き足りない人文学的探究心が身上だったため、ネットやジャーナリズムでたちまち注目・共感を集めるような話題性キャラには絶対になり得ない、良くも悪くも中庸で堅忍不抜な人間でした。


ブログを始めて2年が経つ今も、そのスタンスは変わりません。しかしだからといって、警備という周縁的な仕事でやっと持ち直した私に、現在社会復帰を模索している同年代の痛みや屈辱感がわからないはずがありません。


2015年4月に始まった生活困窮者自立支援制度への意を決しての飛び込みが、私のやり直しの第一歩でした。それから4年半が経ち、秋口から澎湃として沸き起こってきたのが、氷河期世代や引きこもりを対象とした採用枠や就労支援の新たな動きです。


5~6月の引きこもり絡みの殺人事件や、中高年無業者の悲惨な実態調査結果を受けて、社会的関心が高まるにつれ、行政も急ピッチで動き出しています。


長く抜け出せなかった無業者層にとって、これはもう、千載一遇のお膳立てではないでしょうか? 


政府批判だの制度の不備をあげつらっている場合じゃ無い。生き延びたければ、四の五の言わず相談窓口に馳せ参じるべきです。もちろん当事者本人が、きっぱりと心を入れ替えた上で。


就労支援員3人もの助けを借りた私が、半年以上かけてようやく(介護の)就労にこぎつけた、それくらい、長期の社会的ブランク克服には本人の地道な取り組みと忍耐力が必要です。怠ければすぐふりだしに戻ってしまいます。そこで諦めるようならもう完全におしまいでしょう。


以前のブログでも書きましたが(≪人をダメにする放置…≫)、どんな才気走った引きこもり発信者よりも、その日1日働いてきた人のほうが社会的評価は無条件に上なのです。そして生活の隅々まで便利にしているインフラの全てが、顔も知らぬ誰かの手作業によって逐一メンテナンスされていることも、実地で警備の際つぶさに見ては、いまだに新しく勉強させられているのが現在の私の姿なのでした。


では、ぜひ、2020年を良い年にできますように。