四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪警備員の篩も厳しいゾ…≫

繁忙期のためブログに手が回りませんでした。


昨年とは違って常駐現場をもたない今は、埼玉や神奈川で、数日ごとに別の業者に付いて、主に土木工事の現場で交通誘導をしています。
土木とはつまりインフラ整備のことで、電気・上下水道・ガス・道路舗装など、日常生活を成り立たせる基盤となる工事です。


このうちわが警備会社で依頼が多いのはマンホール洗浄などの下水道で、次いで道路舗装やガスの仕事が随時あります。これらは工事箇所が国道や県道にかかることも多く、その時は検定資格者が必須なため、フリーで動ける私などがおのずとリーダーまたは単独で入ることになります。


一日に何ヶ所も回るマンホール洗浄や点検等の場合、作業時間は短いのですが、行く先々で、車から降りてすぐ初見で現場の道路状況や信号・枝道のありようをつかむ必要があり、緊張します。かたや、工事看板を立てて通行止めにする場合も、一方通行との絡みで迂回路が入り組んでいる場合など、一般車への説明自体をいかに短く明快に伝えるか、いつも頭を悩ませます。


そのさい、相方となる隊員の出来いかんでは、状況をわからせるのが一苦労で、こちらが駆けずり回ったあげく相方を看板脇にまで連れていかねばなりません。実際、迂回の説明が全くできなくて出禁になった者もいます。


現役警備員が書いた話題の本、その表紙絵のような『ヨレヨレ』の交通誘導員はわが社にも数名います。特に私が所属する営業所(本社ではなく支部)は研修さえ受ければほぼ誰でも採用してしまうため、高齢者ならまだしも、一般人として到底通用しないレベルの猛者が時々現れるのです。すると隊員間でたちまち評判を呼び、どこどこの現場で奴がこんなことをやらかした!と情報共有されて、それが何度も続けば急速に持てあまされていきます。


もっとも、かく言う自分だって5年2ヶ月前に採用された時には、46歳にして職歴は非正規ばかりでスカスカの孤立無業者。前年公共職業訓練で取った介護職員初任者研修すら職場で活かせなかったポンコツで、終始おどおどしながら警備デビューしたわけです。但し、まっさらな新人として真面目に取り組む姿勢が好感され、端役としてあちこち回るうちに場慣れし順応していきました。


ここ2~3年で顕著に変わってきた会社の傾向としては、ダメな隊員への風当たりが以前より強くなったと感じます。
よほどの不祥事を起こさない限り、一度雇った隊員を会社でクビにはできないのですが、目に余る無能やだらしなさを一向に改めない隊員や、ベテランであっても動作や注意力があまりに衰えたりコミュニケーションが取りづらくなった人は、各現場の隊長格から管制に報告されて、行ける現場が急速に狭まります。特に繁忙期が終わるこれからは交通誘導の仕事自体が少ないため、シビアな淘汰の始まりです。


また隊員のなかには、嫌いな同僚や監督がいる現場、遠すぎる行き先などをことごとく拒む、選り好みの強い者もいますが、そういうのにも仕事は来なくなります。昨春コロナ禍でシフトが激減した職種が多く出ましたが、交通誘導の場合、3月は週5で呼ばれても4月は仕事が3日だけ、などよくあることです。


誰でもできる最底辺の仕事、とよく言われますが、じつはそんな見方は、現場では徐々に変わってきています。特に、大半が十年選手で建築現場常駐経験者の多いわが警備会社(本社)では、解体や新築工事の工程や建機に詳しいベテランが多くて、他職や監督と対等に綿密な打ち合わせができるし、相互にリスペクトが感じられます。


私自身の実感としても、検定資格者として隊長を張った建築系の常駐現場ではどこでも、他職の親方と遜色なく扱われました。とあるマンションの大規模改修工事では住人向けのお知らせに、監督以下職長の1人として写真とメッセージ入りで、工期いっぱい掲示されていました。


要は警備員であれ、職業人として出来ていればOKなのです。世間に根強い賤業イメージは、実際だらしない風体で漫然とその場をやり過ごして日銭を稼ぐだけで通った時代の遺物でしょう。


たしかに、曲がりなりにも有名大学を出て高い志を人文系学問に求め続けた者の現在地としては、場違いや不本意な思いはあります。でも、一片の糧にもならなかった戦後ドイツの戦争責任問題だの20世紀の様々なイズムや文学概念だの、実社会を生き抜く上で全く不毛な死に学問に絡め取られた引きこもり・孤立無業者としての大失敗から、心機一転、活力と視野の広がりを掴み取るに至った交通誘導警備5年の収穫を、最底辺などと蔑ろにすることは私には決してできません。