四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪この夏、きっぱり決意したこと≫

しばらくぶりの更新です。


医大病院の新本館工事はいよいよ大詰めに入りました。
建物内は床材も敷かれて全員上履きで移動します。
また、トラックの搬入経路も徐々に狭められ、大型車は通行不可。一方、各階内装工事で大量に使用した立馬・天台・台車や残材の搬出車両が主に4t車で日に5、6台ずつやってきます。


この夏は6月中から異常な猛暑に見舞われた上、アパート自室のエアコンが故障していたため、交通誘導の日中はもとより、夜間も体が休まらず、お盆前までなんとか体力をもたせるのがやっとでした。


それでも、お盆期間に友人と2年ぶりに登山できるのを楽しみにしていたのですが、台風接近予報のため中止。
北アルプスはやめて、独りで新潟の平標山〜仙ノ倉山へ登り、1日で真っ赤に日焼けしてきました。


さて前回のブログ以後の2ヶ月半で、現場の光景も大きく様変わりしています。たとえば、完成間近の新本館と、現在の病院本館とを結ぶ渡り廊下状の建造物が新設されました。これは病院機能移設のさい、へその緒のように中を通ってスムーズに機材を新館側へ運び込んだり、病院職員の夜間の移動などに使われます。


また極めつけは、6月まで私が1年以上仕切っていた搬入メインゲート前です。ヘアピンカーブ状の急坂続きだった舗装道路が、豪快に壊され、深掘りされて、治山工事さながらの堰堤と化し、建物まわりの残存物や埋設配管も逐一解体撤去された挙げ句、地形そのものが一変してしまったのでした。


現場周辺に久しぶりに来た人はしばし茫然とします。なにせ完成間近の純白の病院正面口(建物全体は淡いベージュ色)のすぐ傍らでは大型重機がガタガタ暴れ、はつりや溶断作業で火花や粉塵、打撃音がもの凄かったからです。しかし先月、道路工事業者の詳細な図面を密かに見たところ、昨年の時点でこの一帯を均して救急車専用のロータリーにすることは綿密に了解済みでした。昨年来私がゲート前で車両誘導中、墨出し屋と呼ばれる測量士が時たま現れては至る所の古壁や斜路に線や記号や数字を書き込んでいたのも、今となってようやく、周囲の高低差や道路拡幅の形状が現場でピタリと符合します。その構想力と深謀遠慮ぶりには伏線の回収にも似た震えるほどの感動を覚えました。


いま私は、早出と残業時間を除いて搬入出車両の誘導を他のメンバーらに任せ、この一連の外構工事のそばに付いて車両誘導しています。交通誘導警備の仕事に入ってもう6年半あまりになりますが、経験10年以上の隊員が大半の当社にあって私にいささか取り柄があるとすれば、建築現場の作業内容を絶えずトータルに同時並行的に把握しつつ自らも率先して動けることだと思っています。


もちろん、一般に交通誘導といえば、まず道路工事に伴う片交(片側交互通行)と歩行者誘導がメインの仕事となります。でも私はビジネスホテル・大型ショッピングモール・大学病院と主に3つの新築現場で隊長を務めた経緯から、ブログでも記したように、建築現場のありようをオーケストラの総譜になぞらえ、多様な職種間の絶えざる段取り調整や、ミスの赦されない精緻な揚重作業や計画自体の壮大な構築性にとりわけ感銘を受けてきました。それはかつて私が多大な歳月を無駄にした人文系学問の党派性やチンケな反骨精神とはまるっきり違う、本当に技術を磨いたプロどうしがガチでせめぎ合うからこそ前へ進める、文字通りの建設的な姿勢に他ならなかったからです。


そんな思いは昂じてこの夏、私はもはや同時代言論へのアプローチを一切断ち切るところまで行き着きました。つまり私は、大学以来足かけ30年にわたって、ひきこもりや無業者の時も非正規雇用の時も、新聞・図書館・ネット上で人文系の言説空間に何か価値ある内容や信頼するに足る知識人を切に望み続けてきたのですが、ついに叶わず、先の元首相銃殺事件を機にますます憎悪と侮蔑で総崩れの言論状況を見て、もういいや、と根本から心が折れてしまったのです。


ブログはまだ続けます。四時歩武和讃『オラトリオ ハノイの塔』の筆者として、何も自分が引き下がる必要はないし、一介の交通誘導警備員だからと無闇にへりくだる必要もない。
むしろ、いまや職長として働く充実ぶりを励みにして、言論人・知識人の遥か圏外で自分を律して思索しながら志をかたちにしていければ、と思います。