四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪見越入道 ④≫

更新が遅れて、結局日曜になってしまいました。


内装工事が進むにつれ、新規業者も日ごとに加わり、今週で総勢70名。搬入出車輌も頻繁に重なり、休憩時間はおろか、🚾へ駆け込むワンチャンスですら、うっかりすると空いた場所にトラックが入りこんで歩道で荷下ろしをしだす状況です。また、私は工期の最初からいる常駐者なので、各職種の人や配達員から、資材や道具や荷物の置き場所、監督の居場所などをしょっちゅう訊かれ、📱で要件を取り次ぐことも多いのです。だから疲れもたまります。


対照的に、当ブログで公開を始めた連作詩『オラトリオ見越入道』が書かれた時期の大半は失業中でした。年齢的にも40過ぎると相談窓口がガクッと減り、前にも触れましたが履歴書の年単位の空白と、目立ち過ぎる出身中学高校名(大学名も含めて)をウソの学歴で通すことへの自己嫌悪から、ハローワーク行きやバイト応募も疎ましくなる一方でした。ただ、当時は窮乏しながらも、探究の方向性として既に本質的な手応えはつかんでいたので、時局や話題性に振り回されて言葉が荒れることはもうありませんでした。この時期PCが壊れてネット空間から切れていたことも、案外自分にとっては良かったのかも知れません。


ともあれ、言論人文化人インテリ層からの隔絶と疎外感については、当時の純度と強度を今も変わらず保っています。以下の詩〈2〉は4篇ともそんな心象風景を基調としています。


オラトリオ見越入道
刻露清秀

〈2〉


時明かりの中へまろび出る者が
生前日の目を見ることは稀だ。
視息の窓には塵降り積もり、
亡き世に善き名、望むべくもない。
耳を聾するほどの にせオラトリオ、
知り得た者は深山隠れに。
熱に浮かされた向きは毫も問われず
ただ保護色に還るのみだと。


蘚苔に漉され、岩角に漉され
寂寥に漉され、林床に漉され
荊榛に漉され、山葵田に漉され
冬空に点呼一叫、
日が射し、樹皮はひきしまり
恥を負う手は水底に揺れる、
朝積みの雪の下にも
滑らかな つてを絶やさぬように。


自注 : 荊榛 は「けいしん」または「ばらやぶ」


(続きは次回)