四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪いわゆる走馬灯が脳裏を駆け巡った日≫

台風の接近で、私の住む埼玉県南部は1日半ほど涼しくなり、雨も降ったりやんだり、しのぎやすいひとときでした。でも、また元の木阿弥です…。


先週までの炎天下の警備で頭に熱がこもってしまい、様子見のため3日間仕事を休みました。が、5日の日曜に毎年恒例の店舗特売セールのため駐車場警備で資格者が必要となり、つい1日出てしまったのが命取りでした。この日も現地36℃をゆうに超えており、やっとの思いで勤務を終えると頭がくらくらし、翌日も資格者配置の仕事があると知って多分無理だろうと観念しました。事実、翌早朝、最寄り駅でこれは死ぬぞ、と思い、会社に連絡。幸い、6時半過ぎに代役の大ベテランが確保できたため、仕事上支障をきたすことはありませんでしたが、頭をやられたダメージは大きく、あれから何度か寝た現在もなお体のほてりが抜けきってはいません。


とりあえずお盆明けまでは休養するつもりですが、その後は以前書いたマンション修繕工事の足場ばらしでしばらく呼ばれるかもしれず、例年以上の残暑が続くようならまた現場で危なくなるかもしれません。


ただ、最悪長期休養・休職扱い(何人かいます)になったとしても、警備の仕事をすぐ辞めるつもりはありません。ブログの読者ならおわかりの通り、みじめな失敗の人生から気持ちを切り替え、社会復帰を果たして生き生きと認識を更新し続けている、このかけがえのない日々をもたらしたのはまぎれもなくいまの仕事だからです。ブログにしても、済州島旅行にしても、その果実であり里程標にほかなりません。


《四時歩武和讃》から

 刻露清秀


群籍放流の地を間択し
五濁増下に信憑を求め
定離の橇を罫線として
蒼声を司る貴腐の歌口。


気位の高さが人を場違いにするように
遺存種を乗せて訳場は昇り
古き都を転々として
不壊なるものへの帰順を学ぶ。


晴れた日には道を通わせ
雨の日には筆を通わせ
投げかけられた『予想』の成否を
数理の果てまで見極めるかのように。


時に自在鉤の原理で濁流をやり過ごし
賊は干からび割れ口を見せて転がる先に
征旅と鞭撻、かつてはそれを英雄と呼んだ、
懸河に戴帽、いまや日に日に胸おどらせて。


  〈了〉