四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪熱冷ましの休日に≫

お盆明けの日曜日から仕事に戻り、7日間で駐車場1・ビル新築工事2・改修工事3・道路舗装1とバラエティに富んだ交通誘導に携わりました。都内で天皇・皇后を乗せた車列が東大まで往復するため、生コン打設時間を午後にずらした日も印象的でしたが、やはり極めつけは昨日、7人体制で臨んだ100mに及ぶ道路舗装の灼熱地獄でした。


一応私がリーダーです。が、隊員の1人が時間ぎりぎりで来たのをケチのつき始めに、近隣住民から車の出し入れを急ぐ要求が偶然重なるなど不運な出だしで、初っぱなから監督の不興を買っているのがわかったため、自分より経験も長くガタイのいい資格者にさり気なく場所を譲り、私は全てのダンプや工事車両を出迎える一番手前の要所に陣取って誘導することにしました。


7月末の3日間の道路舗装時と同レベルの酷暑でしたが、ひと月経って暑さのピークが午後にずれ、日が傾きだしてから一層カーッと照りつけてくるのがうんざりでした。ビルのない住宅地で、とりわけコンビニがないのが致命的。昨今のように連日37℃までいってしまうと、自販機の飲料では頭を冷やすにも物足りないのです。涼しい店内への退避ができるか否かは命に関わります。事実、15時過ぎ、無線で高齢のベテラン隊員がついに熱中症で倒れたとの一報が入りました。


すでに休憩のさい駐車場の陰でうずくまっていたのを見て声をかけ自分のヒヤロンもあげてはいたので、隊長としてああ来るときがきたな、という思いでした。助かったのは彼のポジションが工事帯のそばで、他の警備員や作業員が周りにいて、すぐトラックの中で涼めるように手を貸してくれたことでした。


即会社に連絡し、また救急車を呼ぶことも考えましたが、本人が受け答えもしっかりでき、車内で休んでいるかぎりは持ちそうだったので、そのまま定時まで休んでいてもらうことにしました。ただし灼熱下のアスファルト舗装だけに作業員もバテて進捗が遅れ気味だったため、残業になる時間はあとの6人で最後まで対応することを皆に伝えました。


その後も、住民のドライバーからの工事帯への強硬な車乗り入れ要求があるなど、面倒臭い状況で駆けずり回ったため、ついに私もめまいをおこして倒れ、たまたま近所で駐車場警備の人がホースで水を撒いていたため、ヘルメットをぬいで頭といい顔面といい背中といい胸といい、30秒以上にわたって水びたしにしてもらってどうにか命拾いした次第です。


交通誘導警備の仕事で、とりわけ資格者となって現場の頭を務めることが多くなって以来、とにかく煩わしいのが、搬入トラック等の不運な殺到と、近隣さんの身勝手な要求や頑固で理不尽なクレームです。特に後者は対応を誤ると現場にいられなくなってしまうので、低いテンションで誠実そうにお詫び言葉を献上し、相手が矛を収めるよう努めるのが無難です。でも頭にくるのはもちろんで、順調だった日でもいっぺんに後味が悪くなったりします。


そういうときは、この仕事が『残る』ものではないことを思い出すようにしています。円滑な交通を維持すべく、安全に気を配り、的確な状況判断をするのが職分なので、たまたまの行き違いやトラブルも、その場限りで跡を引かなければOKなのです。


その一方で、私が長大な時間軸で精神文化の精髄を直に受け止め、詩篇の形に圧縮して『残る』ものに仕上げようと志してきたことは、当ブログを頭からたどったかたは少しずつわかってきていると思います。ブログの副題にもあるように、『社会復帰』として警備の現場で日々身を削って覚えたことと、『精神復興』として同時代に飽き足りない思いで育んできたこと。その両面から社会への知的で有為なアプローチを探っていくのが、いまの私になしうる最良の貢献だからです。