四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪夏をめぐる苦い記憶とその一顆≫

警備員になって3度めの夏ですが、すでに体感的にはMAXといえる序盤戦の暑さでした。


就労中の夏のしんどさで近年記憶に残っているのは、2013年、空調のない物流倉庫内での汗だくのピッキングと在庫管理でした。その古い建物はさすがに翌年全面改修したのですが、それまでにスタッフが何人も辞めて負担が重くのしかかり、ついに自分も潰れてしまったため、心残りなのです。


記録的な猛暑だった2010年と、震災の年11年の夏はともに失業中で、記憶はゼロです。それに対し、2015年、生活困窮者自立支援制度に則って就労支援プログラムをこなしつつ介護の道へと追い込まれていったひと夏の不安(所持金ほぼゼロ、定職前提の前借りのみ)は、いまでもまれに脂汗とともに枕元によみがえってくることがあります。


市内の介護老人福祉施設のご厚意により、デイサービス部門の研修生として10日間もお世話になり、そこで施設長や職員などからすこぶる好評を得てしまったのが運のつきでした。要介護度の高くない、社交性や趣味を持ち合わせた高齢者(ほぼ女性)相手だと、私もうまく話を引き出せるし、工夫をこらしては毎日愉しんでもらえたのです。


問題は、圧倒的多数を占める重い認知症や寝たきりなどの利用者を施設の中で何年もケアし続ける職業としての介護への適性・耐性でした。夏の終わりに始まった介護職員初任者研修が進むにつれ、講師や他の受講者との生活経験の差や家族観の隔絶があらわになり、意欲や志望動機も薄いままに推移。結局、実弟にも電話口で軽蔑されるほど無理筋な就労の挙句、3週間で完全に介護職から手を引くはめになったのです。



夏の猛暑から、あらぬ方向へ話が飛んでしまいました。が、炎天下の警備の話ばかりではいささか暑苦しいだろうし、警備以前の社会復帰への道が幾度も袋小路に迷い込んだ事実を正直に打ち明けるのも、参考になるかな、と思った次第です。いくら就労支援といっても、明らかに適性のない職業選択は、やっぱり地獄だから。


結局、介護付有料老人ホームで働いて得た着想は、下記の1篇にのみデフォルメされて実りました。



『好色陀羅尼』

  刻露清秀

りっしんべん、ウ音便
夭寿…芳樹、整容…従容
謙譲びと、雲はほつれ毛、棚霧る添息
まどかに蒸れる月夜干潟に
臥床し微笑する考一点。
凝らせよ懲らせよ馴れていく命
火酒ですらおのが血肉となるほどに。
軽賭博と重賭博
その差は有卦に入る速度、
漢女漢麻呂、手を替えしな替え
夜ごと鳩槃荼、化尼の猟場で
トンボは俚諺のように
となめ追い並む、天名地鎮もんめ。


私が居るのは寮
あなたに要るのは僚
私に要るのは療
あなたが居るのは遼
願わくば真善美信仰希望愛の六弦琴もて
吹きすさぶ舌根に口琴の繰り言を。
されば海松の影では模様替え
まつ毛の辰砂をぬぐい
鬢中に紫唇をとばし
ざくろは裂けて麗容が咲き誇る、
二河の振り袖、胞衣のみなもに
色は匂へど散りぬる亡者の
新巻髪 八百抱き神 血湧き咬み。


♫おさむらいのお弔い
 レクイエムで酬いえむ、
 でも形見分けは痛み分け
 エターナルに疎うなる…

ハイ喜寿さんこちら、手の鳴る方へ
首加減よし、匙加減よし、合食禁なし、
♪恥モ外聞モアリマセン…
ただ、一さいは過ぎて行きます、御旨のままに、
散髪済んだら少しは利発になれるかな?

♫壁訴訟に骨粗鬆
 身過ぎ世過ぎに口ゆすぎ
 でもしどけないから放っとけない
 官能瞳孔、感度良好。


  〈了〉

 ※ ルビは振りません。