四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪刻露春秋山行記≫

私には、山登りという、人生で2番目に長い趣味と拠り所があります。


大学3年の時に友人との九州旅行を機に登り始め、つまらない独文科の政治談義から逃れるように、関東甲信の名山を中心に大雨でも積雪期でも構わず出かけました。卒業後の混迷した歳月も、アルバイト等で手元に金があるときは単独で、行き詰まった最悪の何年かでも同じ友人の誘いで年に1〜2度は一緒に登っていました。


そのため現在まで、奇しくも天皇陛下とほぼ同じ180以上の多彩な山に登頂しており、それだけでブログを成してもおかしくないほどの経験者です。


当然、経験の中には失敗も含まれ、嵐の稜線上での夜通しの彷徨、3度の滑落、肩を脱臼して救急搬送、真夏の低山密林帯での重度の熱中症など、自分にとっては戒め、同好の士には他山の石となりうるような事例も揃っています。


折しも紅葉シーズン真っ只中…。しかし残念ながらこの秋は週末ごとに台風等の天候不順が続き、警備の仕事との絡み(24時間通しの調査など)もあって未だどこへも行けません。そこで、近年山で出会った動物についての思い出を書こうと思います。

     ☆


『熊出没注意!』の看板は登山者にはお馴染みです。低山なら『スズメバチに注意!』、沖縄の山では『ハブに注意!』もありました。


でも、特に注意までは促されない動物もいます。
私が残雪期の八ヶ岳に登った一昨年のことです。


頂上一帯広大な雪原と化した硫黄岳に到達した後、火口跡の先をしばらく下った急斜面で突然カモシカと鉢合わせになりました。黒毛和牛のようにずっしりとしたオスの成獣です。草の芽を軽く毟っては面を上げ、上目遣いでこちらをジーッと見つめること7~8秒。また草むらに顔をうずめてモグモグしだしたため、敵意は無いと判断し、私はデジカメを手に5~3mまで近づいて動画撮影を始めました。


山で見た動物の中で、犬と餌付けの鹿を除けばこれまでで一番の至近距離。たとえ向かってきたとしても自分の足ならかわせると思いました。でも実際の所、獣の息づかいだけでも興奮を隠しきれず、まして歩き出したりこちらへ向き直るたびに、思わず「元気かぁ?」「うぉ〜でけーな」「会えてよかったな〜」などと震え声で呼びかけながら冷や汗ものの撮影でした。結局カレは私の日本語には目もくれず、2分ほどで崖の上へ立ち去りましたが、私の心のアルバムにはかけがえのない雪山体験の一つとして、その図体丸ごと刻み込まれたのでした。


     ☆


しかし、これ以上に印象的な出会いがありました。
昨年初めて訪れた韓国の済州島で、早速登った漢拏山(韓国最高峰)でのことです。


島の中央に雄大に盛り上がる名峰で、長丁場ですがよく整備された登山道を、外国人も含めて多くの一般登山者が登ります。最後の待避所(小屋)を過ぎてややきつい立ち枯れの樹林帯を超えると、遮るもののない頂上部への前途が開けます。眼前に岩場も迫ってきたその時、前を行く男性が振り向きざま、鋭い声で私に遠くを指差しました。私は意味が判らず凍りつきましたが、続けざまに叫ぶその手の方向にちらっと鹿の動きが見えたので、あれか、と納得。男性はなおも韓国語で何か呟きながらデジカメを取り出したので、私もすぐ隣の岩に上がって二人して鹿の写真を撮りはじめました。


鹿は日本のとたぶん同類で、毛の色はやや白く、まだ若いのか立ち姿が愛らしくもきりっとしていました(あとからもう2頭出現)。登山道から外れた草付きの岩場にいたため、後続の登山者は気づかずみな素通りです。私も鹿自体は日本の山で見慣れていますが、心揺さぶられたのは、この先山頂にある火口の池が、その名も『白鹿潭』(백록담 ペンノクタム)だったからでした。


山頂の碑にも漢字で大きく刻まれたその名は、遥か昔からこの地に白い鹿の群れが生息し、火口原を舞台に跳梁・闊歩していたことをうかがわせます。そして漢語由来の呼び名がこの離島にもハングルで定着し、2018年に訪れた日本人の私は、韓国人登山者のおかげで白鹿の直系数十代もの末裔たちと対面しながら、漢字表記のおかげでその遠い来し方、鳴き交わす声にまでも思いを馳せることができたのです。


漢拏山頂は、韓国高校生の体験学習登山や中国系ハイカー集団の嬌声などに占拠されていて賑やかすぎ、私には身の置きどころがない感じでした。しかし、眼下の白鹿潭をはじめ、古墳のように点在する側火山や、かすかにたどれる海岸線…、と全方向の眺めを堪能しながら、私は自分の心の持ちようが、過去の無職引きこもり等社会との長い断絶にもかかわらず、依然として悠揚迫らざるものを求めてのびのびと開かれていることに深い喜びを覚えたのでした。