四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪仕切り直して、再開します≫

丸2ヶ月、ブログを休みました。


警備の仕事の繁忙期だったことに加えて、無駄にスマホを見過ぎているけじめのなさに我ながら嫌気が差したためでもあります。


私は3年前に切羽詰まった事情で警備員となりました(≪序文①≫)。でも手元にお金ができるまでの4~5ヶ月は、まだ実社会からはるかに取り残された情報弱者のままでした。PCはとうに壊れ、TVも新聞も内容にうんざりして十年来見るのをやめていたからです。ところがその状態から、スマホ一つ購入しただけで、十年一足飛びで現在地まで到達できる、その喜びは格別でした。既に前年秋以来、介護の公共職業訓練で周囲の初任者研修受講生たちからスマホやLINEのやりとりを見せてもらっていただけに、スマホデビューはほんと待ち遠しかったのです。


あとは仕事定着と生活自立。そこさえきちんと立て直せれば、もう有名私立中高不適応以来の両親との不治で不毛な泥仕合や、引きこもりと孤立無業期の惨めな記憶など抹殺していい。そして今度こそ、自分本来の穏和で晴朗な気質や人文的な総合精神を取り戻し、ゆくゆくはブログによる発信も進めていけるだろう、そんな意欲が蘇ってきたのでした。


実際、その後は交通誘導警備の資格者となって後楽園に近いビジネスホテル竣工までの全工程で隊長を務め、他の警備員から2階級特進と称されるほど身に余る現場を全うしました。折しも当ブログでは、自身渾身の詩篇『オラトリオ見越入道』を公開しており、それと並行して、常駐現場においても私は、これまでの人生でも最高度の緊張と充実感を味わいながら、日々の奮闘ぶりを文章にしたためていたのです。もはや警備員に向けられる罵声や難癖、底辺扱いなど屁とも思わないほど確信に満ちた社会復帰、ならびに精神復興への手応えゆえでした。(≪見越入道⑨≫など参照)


おかげで去年4月にはお世話になったケースワーカーへのお礼参りを果たし(≪見越入道⑲≫)、5月には韓国済州島一人旅にも行けました(≪失地回復里程標≫)。そしてあれからこんにちまでの仕事上の変化はといえば、建築一辺倒ではなく多様な現場で場数を踏んだことでしょうか。道路工事はもちろんのこと、イベント会場での初見での状況把握や運営スタッフとの打ち合わせなどではリーダーの手腕と落ち着きも求められたからです。


例えばこの春先、カスタムカーといって外車などの高級車を自分仕様に改造したド派手な車の展示ショーが都内湾岸で催されました。ブルンブルンふかして威容を見せつけながら気ままな急発進で会場入りする、色も形もポリシーも極度に尖った車ばかりを逐一誘導する役目です。撮影に走るカーマニアたちや、会場を盛り上げる重低音のステージとDJ、人気車をバックにポーズをとる女性ダンサーとワニのように群がるカメラの一団…。度肝を抜かれっぱなしでした。やがて表彰が終わり、日没後にかけて3時間がかりで全参加車両を会場から出し終えるまで、私は緊張のあまり休憩もとらずに前面道路に出ずっぱりだったくらいです。


ほかにも、ブログでも書いた秋葉原メイドカフェ前のビル改修(≪目の付け所と目の保養≫)など印象的な現場が幾つかあり、その都度、思わぬ未体験ゾーンに接することができました。実は私、もうじき50になるのですが、10代では極度の内気と口下手と進学校での純粋培養のため、また大卒以降は幾度もの長期の社会的ブランクを余儀なくされたため、年齢に比べて全く世間擦れしておらず、心身ともにかなり若く見られるのです。


それはともかく、よもや警備の仕事からこんな世界を垣間見、あるいは担当者とこんな話題で盛り上がろうとは…、といった想定外の驚きが幾度もありました。そして実はこの新たな気づきや対応力こそが、警備に限らず、およそ社会復帰としての就労がもたらすほんとうの意義と醍醐味なのかも、と改めて感じる次第です。


  (続きは次回。韓国4泊一人旅の疲れと
   火照りが収まったら書きます。)