四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪生誕10年、オラトリオ再掲①≫

医大病院新築現場にもようやく春到来です。


新本館はもう12階まで建ち上がりました。青いネットに覆われてはいますが、外観上未完なのは最上部、屋上の塔屋と救急搬送用ヘリポートくらいです。先週からは、タワークレーンの解体搬出作業まで始まり、先導車付きのスーパートレーラーは私がバスロータリー前で誘導しました。


さて、この現場に来た私が急な成り行きで交通誘導警備の職長となってから、はや1年が経ちます。これは一つの現場としては自己最長記録です。
2016年1月末に警備員となって以来、特に大きな現場で職長を全うした例として、ドーミーイン後楽園とイオンタウンふじみ野があります。今の医大病院工事もそれと並んで、私の社会適応能力を否応なくグレードアップさせました。例えばいま現場の作業員総数たるや優に500人を超えているし、警備員の数も8~9人で回しています。同じくらい広範囲だったイオンふじみ野では作業員約350人/警備4~7人(一日だけ10人)でした。


規模もさることながら、工事の推移や全体像を把握するために、日々各階ごとの工程の略図を携え、建築用語や搬入資材についての知識も欠かせません。実際、いつも出ている昼の打ち合わせ(朝礼は搬入対応のため出られない)では、場数を踏んだ監督以外では太刀打ちできないほどその道一筋の剛毅な職長らが厳しい意見を忌憚なく出し合い、時にはあとから搬入車両の可否や時間変更について私に意見が振られることさえあります。

   ☆

思えば2017年このブログを始めた当時、≪序文①・②≫などで見るとおり、私の当面の目標は社会復帰と生活自立、そこまででした。
子供時代の極度におくてな性分に由来する有名私立K中高での萎縮やその後の躓き・失敗の連鎖について、もう取り返しがつかないとわかってはいても、実際あまりに立ち遅れてしまった無力感から、社会復帰後のイメージも貧相なまま、その日暮らし目線からなかなか抜け出せなかったのです。


しかし警備の仕事で十分結果も出したいま、少なくともひきこもりや無職の過去は死にました。


わだかまりが残るとすれば、せいぜい、かつて人文知という分野に精神史的な拠り所を求めようとした者として、その方向で何一つ糧にならなかった大学知識人やジャーナリスト、現代文学論者らに対する心底からの軽蔑があるくらいです。


ただ、思い出すのも恥ずかしいかつての自分、親元での無業・失業・泥仕合で行き詰まっていた10年前、私が唯一志と微力を振り絞って完成に漕ぎつけた連作詩がありました。それが、当ブログの初期に1篇ずつ小分けで公開した『オラトリオ見越入道』でした。


もともと知識人教養人のアンテナや読解力に賭けるしかなかった知的密度の高い詩作です。だから無反応でも気にせず、警備の仕事でひとまず生活が安定したら、時間をとって海外旅行などで主題を広げ、ブログを続けている間に順次作品を増補改訂していくつもりでした。


ところが、交通誘導の仕事で大きな建設現場を任される、それも前任者の都合で急な引き継ぎとなるパターンが続いた結果、この2~3年間は切れ目なく常に仕事で目いっぱいの状態になってしまいました。いわば、ゼネコンの新入社員が現場で早々に味わう仕事漬けに似た試練を、私は50歳過ぎて思いがけずガードマンとして経験するはめになったわけです。


そのため、持続的かつ集中的に詩を書くことなど当分不可能となりました。かといって、ブログタイトルを『四時歩武和讃』と銘打っている以上、いにしえの『和讃』の精神を現代に甦らせるくらいの野心をもって綴った自らの探究、オラトリオ詩としての和讃を放置したまま忘却させるのはあまりにも不本意だし無念でした。


そこで、第1稿成立からちょうど10年経つのを機に、ブログ開設当時の2017年公開版から一部差し替えを行った上で、5部から成る連作詩『オラトリオ ハノイの塔』と改題して、全篇再掲載に踏み切ることにしました。

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オラトリオ ハノイの塔
             刻露清秀(2022年版)
 Ⅰ 部

   1

負の行を重ね
悲の段を積み上げるとも、
時が経ち、人みな居ずまいを正す、地の位取り。
雪渓は点々と微地形を満たし
しぼりたての水普請が岩の根を斫り
隘路は融けて、花期爛漫に、
行き交う人はすすんで道を譲り合う。
稠林限界を越えて初めて目にする光景
それは百年で最も日の長い季節の所産、
歩き疲れて暖簾をくぐる者は誰しも
その荷を解けば稷下の餐に加われる。


   2

岩登りのメッカにふさわしい朝
ミナレットからのコールサインで目を覚まし
ツェルトの帷を披けば、
円屋根に光あまねく
バットレスに人は鈴なり
地の刷毛には海運が連なり
トランペットは義の倍音を吹き鳴らす。
度量のかぎりを晴れて領土と呼ぶならば、
その響きは震旦・天竺・大秦に及び、
民謡からも童謡からも遠い調べで
モニュメンタルな史的奥義を伝えてやまない。
なぜなら真のオラトリオとは
時代病・風土病の蔓延する地へ
異教の富がコーラスを以て入城すること。
時にサラバンドのリズムで桟道を伝い
貿易風のメリスマはずむアリアを歌い
両吟、三吟、異言を胸に
啓典縦走、劇詩を成して逓奏しあう旅なれば。


そこでは部隊もテラスに沿ってピトンを連弾、
崖面を研磨し、天窓から垂れ下がり
おのが支えで友の落下を食い止める。
天井画も智眼も抜けた崩落現場に
確保者として、仲保者として、
修復とは破壊と向き合う化城喩だから。


憎しみや思い上がりや
放埒や沙場の網から解放されて
個はここかしこで応答を願い
地には雅亮が行き渡るように
アリスモイ、カタルモイ
あまたの民、かくも清めて。


   3

那辺を訪い、角々に頌を灯し
疑心庵から耆宿舎へと移りえた人は幸いだ。
釣具・工具・防具を併せもつ港のように
かれは自ら時のオーナー、時翁となって
厳の世にも定の弓を取り
慧の矢をつがえて矍鑠としている。


それはあたかも、専売と施錠の船団
梅の実、ヤシの実団旗を排し、
風媒、鳥媒、幾層杯、
精神のスペルをコンテナに
集散花序の竿頭拡げて
合弁碩才、沖合 屋を重ねる事業。


纜は花綵に通じ
合図は横竪に通じ
吊り上げては架橋する
律令譲りの調律、
桁外れの外観は
内需のインテリアを伴い
その商談はいかなる清談にも増して
風航明備な造讃となる。


さればこそ那辺を訪い、角々に頌を灯し
疑心庵から耆宿舎へと移りえた人は幸いだ。
釣具・工具・防具を併せもつ港に臨んで
かれは自ら時のオーナー、時営者となって
建徳階より塔屋へと昇り
慧の矢をつがえて赫灼としている。


 (次回は Ⅱ部)