四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪成熟への道、遅れ出ずる悩み≫

私は出自も平凡で、おまけに生来の引っ込み思案でした。学歴コンプレックスの父のもとで有名中学受験を志し合格。K中高→東大→社会的エリートという幻想を吹き込まれ、でも入学早々叩き込まれた愛校心や同校OBの偏屈な名物教師たちに全くなじめず、対社会的な視野も十分開けないまま、結局パッとしない6年間を過ごしてしまいました。


2年間の混迷とアルバイトを経て入った有名私大でも、学界での権威こそ高いが政治的に偏った問題意識しか持たないドイツ文学科の教授陣に幻滅し、大学の図書館などは手広く利用したものの、全然不消化なまま何者にもなれず就職にも失敗しました。


その後社会情勢の変化に焦りを募らせながらも、再起を期して自分なりの模索はしていました。が、私の年代が学校で習ってきた理念、戦後民主主義のお題目は、ネット時代において既に欺瞞を暴かれ、抜本的に古びてしまい、特に文学の分野で範とされてきた西欧前衛作家や左派知識人の言説・手法が丸ごとガラクタと化していました。前世紀末にあって、独文科を含め10年もの歳月を実りの無いものに空費してしまったという思いは心底悔やまれるものでした。


引きこもりから非正規雇用、失業・無業を繰り返す中で、私の思索は、それを単に時代のせいにする"怒り"から、時代性の彼方へ延びる"明かり"へと、徐々に書き改めていく感がありました。40代に達して初めて書きえた詩篇『オラトリオ見越入道』は、長年の精神的寂寥感を吐露した自伝的な詩を交えつつも、ヘルマン・ヘッセが晩年『ガラス玉遊戯』で試みたような人類の学問・芸術・総合精神への探究を、私なりのアプローチで簡潔かつ緊密な19の和讃にまとめ上げたものでした。



そして1年8ヶ月前、私は当ブログを開設しました。交通誘導の警備員としての社会復帰の手応えと相まって、自作の詩文の公開により、世に埋もれた不遇な知的同志との出会いや、風通しの良い新たな言論空間への参画を待ち焦がれていたからです。


しかし言論の現実はといえば、もう目を覆うほどの惨状でした。例えば昨今の日本と韓国の理念対立にしても、既存の紙媒体はいうに及ばず、ネット上でも政治的報復感情の焚きつけ合い、これ見よがしのレッテルばりと被害者意識の垂れ流しが記事と動画でとめどなく戦線拡大。その全てが、元をただせば近現代史、特に第二次大戦の遺恨のみを絶対視する凝り固まったイデオロギーの妄執に過ぎず、私がドイツ文学科で浴びるほど見たナチス贖罪史観と同様、何の知的な魅力も創意もない後ろ向きな、ドグマティックで感傷的で粗野で頑迷で始末に負えぬ、ビタ一文の価値もないバカの一つ覚え的アジテーションでしかありませんでした。


幸い、今の私はそうした論争から限りなく離れた場所で生きられます。というより、知的な環境からは隔絶された警備員としての炎天下での交通誘導だけで気力も体力もいっぱいいっぱいなのが現実です。しかし敢えて言うなら、ソ連を含めて20世紀の価値観をめぐる低能愚劣な啀み合いを30年以上見てきた者として、国や党派の対立葛藤も、ちょうど1人の人間の成熟過程や栄枯盛衰と同じなんだな…。そんな思いで、少し整理して語ってみたい気もするのです。