四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪出遅れた歳月、生き急ぐ日々②≫

9/1という節目にあたり、ブログ停滞の言い訳を1行で申し上げます。


片道3時間かかる常駐現場への通勤疲れが主因です。


私の所属する警備会社は都内中心で百十数人。また社会保険や昨今の有給休暇の制度化もあって、特にこの春以降、辞める人には辞めてもらって少数精鋭型に体制を切り替えました。とはいえ仕事の総量まで減らすわけにはいかず、無理して遠方の仕事を取ってきたりしたため、埼玉在住の私などが多摩川を越えて川崎・横浜方面へ派遣されるといった例が急増したのです。また6月と7月に私が主力として就いていた2つの土木工事現場も、都区内ではありますが通勤に片道1時間半はかかる所でした。


隊員の配置を決めるさい、新しい現場の元請けの監督が一言居士のうるさ型だったり、見た目も折り目正しいふるまいが求められたりすると、私に白羽の矢が立つことがよくあります。今回もそれが理由で、急遽行き場を変更させられた次第です。


単発の仕事ならまだしも、常駐現場で片道3時間(到着駅から満員のバスで移動する)となると、さすがに他の隊員からも気の毒がる声が寄せられています。実際、始発に乗っていくしかないうえ、週6日で2万円かかる交通費はいつも事前にSuicaで準備しておかなくてはなりません。(交通費は会社で全額出ますが、ずっと後です)


よりによって暑さのピークとなる時期にそんな面倒くさい現場をあてられたのは確かに不運でした。ただ、当ブログで述べてきたように、社会復帰・仕事定着・人生立て直しを常に念頭に置いている私には、しばらく遠方かつ週6勤となってしんどいけれど、一段落すれば、そのあと秋休みをとって(会社は呆れていますが)登山か韓国一人旅でリフレッシュできる、そんな希望があるのです。



9/1といえば4年前、私が生活困窮者自立支援制度のもとで辿り着いた『介護職員初任者研修』の公共職業訓練開始日でした。さらにその1年前には、実家で同居していた父との確執が激烈極まり、危うく三面記事沙汰にて双方人生終了となるところでした。(ちなみにその父とは今年5月母の死を契機に絶交を解除し、父が住む実家のほうは売却が決まりました。)


思えば緊張感に満ちた5年間でした…。


歳を重ねてどんなにきまり悪くとも、自分から動いて外部に助言を求め、自身も相当の覚悟を決めて粘り強く再生に取り組めば、いまは行政も力を貸してくれるし、社会の見方もどんどん変わってきます。それでも、いざ就労となると、私の介護職の時のように3週間で職場環境が生理的にも無理だとわかったりします。


警備員の仕事にしてもそう。常時募集していてとりあえずは採用されやすいからか、年に数人、私以上の高学歴無業者や訳ありな雰囲気をかもし出す同年代が新任研修を終えて現場に出てくるのですが、仕事や体力以前に、まずメンタル面でやられているケースが目立ちます、それも人前に出せないレベルで…。実際即座に出禁となったり、遅刻の連続だったりで、ヤバい奴として隊員じゅうに知れ渡ったら、もうその人の居場所はありません。安全を守る仕事なのだから当然です。


でもやってみてダメだったらその仕事の恥はかき捨てでいいと思います。次の選択肢を早く見つけ、てきぱき行動しさえすれば。そう、就労者と無業者とを分ける端的な尺度は『てきぱき』の有無ではないでしょうか?