四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪白い息と赤らむ頬と≫

入試のシーズンを迎えています。


先日、警備員として2度めとなる、試験会場周辺での交通誘導に当たりました。(他社と計7名で)


1度めは、昨秋都内で開催された中学入試模擬試験会場だったのですが、今回は本ちゃんの中学入試。開場前後の校門周辺に押し寄せる受験生と親御さん、さらに朝早くから激励のために待ち受けている進学塾の先生がたでごった返す前面道路を、混乱なく捌ききるのが任務でした。


中高一貫で倍率も高いらしく、前年度を凌ぐ受験者数という触れ込み通り、歩道の緑色と白線の外側にはみ出して陸続と詰めかける人の列は初詣さながらでした。


その後ろから車やバイク、前からは自転車が現れようが気にも留めない無防備さ。そこで私が登場し、よく通る声で車等の接近を告げ、車道を開けるよう促しつつ、指揮者の身ぶり手ぶりで、時に左右の歩行者を制し、タクトならぬ誘導灯で車をピアニッシモの最徐行に抑えつつ、校門前の横断歩道を通過させるまで先導しながら人払いに徹します。そのさいあまり声がやかましいと近隣から苦情が出かねないので、そこは落ち着いてメリハリのある注意喚起を心がけます。それでも、来場者が殺到したピーク時には、塾の先生を見つけて突如飛び出す受験生や、わが子のことしか見ておらず列を離れ車道で話し込む保護者など、しばしカオスの様相を呈して大変でした。


当ブログを知る人はおわかりの通り、私自身が37年前、有名中学の受験生として同じ光景に身を置いた者でした。もっとも、毎年TVクルーが来ていた母校はともかく、隣県の中学入試でも塾の先生が大挙して教え子を出迎えるものだとは正直知りませんでした。塾はE・N・S・W・Yなど、いずれも首都圏ではおなじみの進学教室で、私が通った所も含まれていました。


有名私立中高進学者としては失敗に終わった私ですが、37年経って警備員として入試に立ち会ってみると、案外さっぱりした気分でした。というのも、私の不適応は陰湿ないじめや学業不振による学校嫌いではなく、単におくてな性格と極度のあがり症による萎縮やこわばりに過ぎなかったからです。(『場面緘黙』という症例に該当すると最近初めて知りました…。)偏差値エリートとしての順風満帆の出世街道一本道を信じて疑わなかった無知で素朴な両親の見立てとは違って、私の本来の資質はスロースターター。逡巡による比較考量や総合的な視野への希求にありました。子供心に予感はしていましたが、世俗的な成功が最も得にくいタイプの性格の持ち主だったといえるのです。


今では学校に馴染めない生徒への配慮やフリースクール通いなどさまざまな選択肢が開かれていますが、私の年代、ましてや有名進学校では脱落=バカ以外の何者でもありませんでした。ただ私の場合は、結局成績は中の下で流して卒業まで漕ぎつけたのと、のちの私大独文科での失望の方がはるかに深刻だったため、母校の思い出は割と明るくあっさりしているのです。当時の友達にも内心とても感謝しています。


ともあれ、みぞれまじりの寒空の下、中学の校門前で受験生や親御さんの帰り支度を見送る私の心は久しぶりに爽やかな気分で満ちていました。年齢的に見れば大半の親御さんよりも年上の私ですが、以前のブログでも触れたように、年収や妻子の有無で他人と張り合う必要のない今の私には、人生の節目を迎えて緊張する子供たちの初々しさがひとえに眩しく、しかも懐かしく心に映るのです。