四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪276日めが終わって≫

この一年も、無事仕事を終えることができました。
最初の100日間は、ビジネスホテル竣工までの追い込み期間。その後は都内のビル改修工事に伴う足場の組立・ばらしをメインに、ビルや社屋の新築、外構工事、道路舗装、下水道工事、店舗駐車場などの警備に携わりました。


年の瀬最後の週は、都内の対照的なイメージで知られる港区S台と台東区通称Sでの仕事でした。前者は生活道路のマンホールの洗浄で、曲がり角の多い坂道や路地の奥まで4t洗浄車を移動させながら、マンホールや側溝の蓋を次々に開けてホースを通し洗浄していきます。坂の上の街の常で、どの道も狭く入り組んでおり、いずれも短時間の作業ながら通行止めと迂回指示の連続。一般車への事情説明がとにかく大変で、気持ちはわかるが怒り出す運転手もおり、暮れの配達車の忙しさや一方通行との絡みもあって、パズルのような臨機応変さが絶えず求められました。


一方、ドヤ街で有名なSのほうは、都の仕事。年越しのための一時的な宿泊施設利用手続きに伴う警備でした。夕方から始まる19時間勤務で、私にとっては(経験3年弱にして)初の夜勤&連勤となりました。警備を生業とする者は収入確保のため夜勤も厭わず働く方が多いようですが、私はこれまで一貫して日勤のみだったのです。

実際に出てみると、夜勤の常連隊員はみな癖が強く、詰所待機中の雑談もテレビ見ながら昭和感覚のエロ話。私は隅っこで寝たふりしてやり過ごすしかありませんでした。

1時間ごとに2人一組で地域を巡回するのですが、会社の方でも私の性格を慮ってか、いちばん若いなじみの隊員を相方にしてくれたので助かりました。明け方になると人が現れ、受付のある公園に並び始めましたが、その数はあまり増えず前年並み。10年前、リーマンショック後の『年越し派遣村』が耳目を集めた頃とは比較にならない少なさだそうです。


9年前に雇い止めになり、その後職歴上のブランクが次第に長期化、精神的にも追い詰められていった40代の私にとっても、宿無しの彼らは決して他人事ではありません。おもてに出てこない引きこもりよりも、寒空の下でズダ袋を置いて何時間も待つ彼らのほうが、いまははるかに身近に感じられます。
実際、朝方カイロを配ったり、その後手続きを終え、宿泊券・食事券ほか肌着一式を受け取って出てくる彼らを出口へ案内するとき、その表情が好転し、穏やかな日和もあって一様に安堵感がにじみ出ているのを、私は見逃しませんでした。



…さて、これで2018年の仕事はおしまいです。正確には、年末年始も仕事を入れようとした会社の打診は断りました。

私の目安として、週5日勤務(土日休み)で1ヶ月(約4週間)働いて20日、それが12ヶ月で240日。
これを基準と考えています。でも現実には繁忙期や資格者配置現場への派遣などでとてもこれでは収まらず、酷暑でダウンした8月、あるいは済州島旅行前後の9連休にもかかわらず、今年の勤務日数は計276日に達しました。それでも、交通誘導2級としては夜勤も含めてもっと出るべきだと言われています。



2019年の抱負としては、もう1つ別の警備の検定を受けてみるつもりです、それも自腹で。


また、春以降再び韓国ひとり旅(今度は半島)を目論んでいます。韓国語が少しわかってきたのと、観たい仏教寺院がいくつもあり、あわよくば山も登りたいからです。


あとは、もうそろそろ知的交流の個人的なきっかけをつかみたいと思います。ブログで何度も慨嘆してきたように、同時代の人文系知識人・言論人・作家らの凝り固まった問題意識や党派性、学界や受賞歴など仲間うちしか見ていない視野の狭さ。他方、お笑い芸人など知名度のある才人の、オープンでパッと見面白いけれど刹那的な、興味本位のエンタメ人生万華鏡的言説。いずれも私には全然物足りない方向性なのでした。


この悩みは遠く大学時代から、いや、半ば80年代バブル期にまで遡って、私の通奏低音として断続的に鳴り続けていたように思います。そこで、年内最後のブログを読み通していただいた方のために、おまけとして、現存する唯一の旧作、高校卒業前の半不登校中に書いた散文を掲載しましょう。後年字句修整のうえで、四時歩武和讃ブログ以前の唯一の自作と認定した代物です。


『知性の天敵』 (1987年12月作)

  刻露清秀


宿敵彼は、今も私より馬鹿である。彼はかつて私を人生の落伍者だと放言した。いや今なお頑固に私を罵倒し続ける。


私が昔、機転を利かせ、罵倒の対象を密かに君とすり替えたとき、君は狂喜した。なぜなら君は彼より数段利口で、罵声を快く聞き流す無神経に恵まれていたからだ。無論私も喜んだ。なぜならこの良好な結果が、彼ほど馬鹿ではないという私の矜恃を裏付けたからだ。現に紆余曲折を経た今、彼は情けなくも瀕死の狂態にある。


事の起こりはそもそも、彼の唾液分泌腺の異状にある。普段ボールペン内に棲息している彼は唾液こそ鮮紅色を装っているが、分泌腺ときたら気まぐれな熱血漢、調整機能は無きに等しい。当然私を罵倒するさい多量の唾液を吹っかけてくるが、私はかつてその付着するたびに全力疾走で大汗もろとも拭い去った。だが対象が君となれば別だ。嬉しいことに君は、彼の唾液を被るや否や瞬く間に法悦の境に達し、単為生殖によって無数のオスを産んだのである。私は思わず君の可愛い分身たちを一匹残らず鼻孔に詰め込んだ。すると彼が現れ、私を知性の敵だと糞味噌に糾弾するのみならず、鮮紅色の唾液をゴジラの如く煮えたぎらせて威嚇してきたのだ。私は君に助けを求めたが、君ときたら何食わぬ顔で私の鼻柱を踏みしだいて逃げてしまった。可哀想に君が産んだ無数のオスたちは私の鼻孔から咽頭へ避難し、口蓋垂に必死でぶら下がって怯える。彼の面罵を浴びながら、癖である舌なめずりをしていた私は、不覚にも舌端に彼の唾液が付着したのをそのまま嚥下した。すると待ち受けていた分身たちは先を争って希少なエキスを舐めまわり、もっと欲しいと盛んに口蓋垂を引っ張る。私はその狼藉に堪えかねて、やむなく舌を彼の面前に曝し、ことごとく生唾を浴びねばならなかった。何を思ったか彼の分泌腺はこれでますます逆上したが、水分のほうが底をついたか罵声がかすれてくるに及んで、ハタと退散した。その間分身たちは滋養をたっぷり吸引し、横隔膜をトランポリンに、胆汁で湯浴みしながら成長を続け、輩出されるときには私の肛門を蹴破るまでに逞しく育っていた。


それはそれで微笑ましいことだが、君と彼と私はそんな蛮カラどもの所有権を巡って血みどろの泥仕合に陥ってしまった。つまり連中は君の単為生殖によって生じ、彼の唾液に癒され、私の体内で養育されたものだからだ。この抗争でまず彼が敗れた。すなわち喉を涸らして得意の糾弾ができない彼は、私に軒並み蛇口へ屁を放たれて身動きとれない。次に私も敗れた。すなわち体内に取り込まれた彼の毒素の拡散によって私は無間の薬物依存に苛まれてしまっていた。かくて産みの親たる君が分身の所有権を握ったが、長引いた抗争の後ですでに連中は一丁前に増長し、無気力な君を老いぼれ呼ばわりして憚らない。ついには武装蜂起して君を血祭りにあげ、私を師と仰ぐに至った。その頃彼は熟柿戦術に転じて貝の如くボールペン内で身を潜めていたが、私の渇きがいよいよ禁断症状を呈するに及んで一気呵成に打ちかかり、油断の隙に合成していた悪意漲るホットな唾液をここぞとばかりに吹き付けてきた。若き分身に対しては「選ばれし者どもよ、誇らかに覇を競え」と叫んで士気を煽りたて、たちまち全員を指揮下に収めて戦った。無論私は敗れた。しかし所詮彼は馬鹿である。手兵の育成に心血を注ぐあまり彼の操るボールペンはなりふり構わず檄を飛ばした。いわば連中の理想化のために朱筆(あかペン)を弄しすぎた次第だ。いまや彼に洗脳された相似形の僕(しもべ)たちは、彼の主義に感服し盲従し陶酔しきって、その生命力の有限なるを知らない、いや信じない。実際唾液腺の熱血ぶりは勇猛を極め、最後の一滴に至るまで私を罵倒し続けるという。となれば私はもう糞尿塗れで斃れるのみだし、君も弑逆されているから、かかる末法の世に分身どもは縋るべき師を全て喪うだろう。その時路頭に迷うかれらゲス集団の行方は自ずと知れる。すなわち、坊主頭の慰撫とまぐわいに甘んじることによってのみ、「選ばれし者」としての存在意義を死守しようとするしかない。


   〈了〉