四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪人をダメにする放置…引きこもりだけの話ではなく≫

半月前から、暑さが身にこたえます。警備の仕事も、資格者として緊張度の高い現場に配置される日が多く、週休2日でやってはいますが、アパート自室の整頓や身の回りの買い物以外、個人的な勉強などは思うように進まないのが現状です。


そんななか、ブログを更新しようとしていた矢先、川崎の登戸でいわゆる引きこもり(51)による最も忌まわしい殺傷事件が起こりました。


私のよく行く現場もその数km圏内で、通学時間帯は児童や幼稚園バスを頻繁に見送ります。また工事監督の一人は若く勤勉なミャンマー人です。(事件で殺された保護者男性はミャンマー外交に尽力された方でした。)そして私(49)はといえば、過去のにがい引きこもりや孤立無業ブランクの克服をブログの柱の一つにしてきました。


これまで時局的なテーマは極力扱わない方針でいた私ですが、社会復帰ブログを構えて1年半経った者として、今回ばかりは自身のスタンスを手短に述べておこうと思いました。


過去の記事≪生活再建…私の進言≫でもはっきり言いましたが、まず就労に関しては、人手不足で景気も持ちこたえている今がほぼラストチャンスです。自信がなくとも応募し登録して、一日からでもいい、日銭を稼いでほしい。どんな仕事でも一日分をやり遂げることが基本になるからです。総じてブランクの長い人間は場慣れしていないため、不器用さよりはむしろ不注意によって、ありえない箇所でヘマをやらかします。真っ黒な液体を座席と床にこぼして弁償しろと口々に怒鳴られ、カネもなくパニクってトラックヤードじゅう泣きながら走り回ったことのある当時44歳日払いバイトの私が言うのもなんですが、きっと誰しもそれなりの恥はかくでしょう。1つだけ確かなことは、仕事をはじめた人を悪く言う人はいない、ということです。どんな才気走った能弁な引きこもり発信者よりも、一日仕事をしてきた人のほうが社会的評価は上なのです。


他方、いまだ就労は厳しい状況の人でも、公的な相談窓口を直ちに利用してほしい。私は親との確執を棄てて生活困窮者自立支援制度による就労準備プログラムとゼロからやり直しの道を選びました。大の大人が悠長に何ヶ月もかけて何やってんだ⁉ と実弟は電話先で憤然とし、呆れていましたが、3人の支援員=ソーシャルワーカーに支えられて本当にプログラム通り一日ずつ駒を進めていった結果が遠回りながらも就労につながりました。とはいえ、周知の通り引きこもりも千差万別なので、私としては、可能な限り就労寄りの計画を練って社会復帰を目指してほしいと思います。景況感が悪化してから始めたのではもう間に合いません。


はっきり言って、引きこもりのまま放置では人間グズになる一方です。まだ若くて針路に迷い、もぞもぞ身悶えできる間に何とかしないと。さなぎと一緒。さなぎも腐れば蛆がわきます。私は30代前半に一時引きこもり自助グループを訪ね、苦し紛れに一度だけ『親の会』にも当事者参加しましたが、思考も話題も堂々巡りで、完全な袋小路でした。結局これを反面教師にして短期アルバイトを始め、当時まだまだコミュ障な状態ながらも3ヶ所めで契約社員として定着したほどです。


その後40歳頃、雇い止めでまた失業者となって親元にくすぶっていた時のこと…。PCの光回線の工事か何かで、各部屋を一度片付ける必要が生じ、新築以来二十数年ぶりに家具や机を全部どかしたことがありました。そこで現れたのは、壁や隙間にこびり付いた埃や蜘蛛の巣・カビやゴミくずの、誰の目にも触れない白さをバックにそこだけ妙にリアルに浮き出た汚らしさでした。


そこでふと思い出したのが大学のドイツ文学科時代です。主要テーマはナチス・ドイツの戦争責任問題。戦後ドイツの贖罪の系譜と、常に対比して持ち出される日本の戦争責任の追及とナショナリズム批判…。でもやがて世界情勢が変わり、不動とみられた無用の学説がごっそりどけられた跡に現れたのは、学界・メディアの至る所にこびり付いた埃や蜘蛛の巣・カビやゴミくずの、誰の目にも触れないのをいいことにそこだけ妙に仰々しく浮き出た嫌らしさでした。


引きこもりに甘んじることの限界と悲惨もまた、私の体験上、どことなくこういうものと似て見えます。陰惨な事件が続いて当事者界隈がつらくなるのはわかりますが、現在仕事をしていて日々接している一般人の目は実に厳しいですよ。メディアや識者が記事で見せるような配慮や建前は一般社会ではまず相手にされません。なぜならほとんどの仕事は他者に対する責任感を伴うことで対価を得ているからです。引きこもりにそれは一切ありませんから。