四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪過去かたづけ完了宣言≫

この10月から、私と元家族はそれぞれ1つの区切りを迎えることになりました。


亡き母の納骨は終え、父は自ら建てた実家を手放して一人暮らしに。そして弟夫妻は新居を構えて2人めの子どもの誕生に備えます。私は今のアパートで独り暮らしを始めてもうじき3年、仕事も継続。


40代半ばで無業者として家族関係ともども完全に行き詰まり、生活困窮者自立支援制度に依りすがるしかなかった時期から、4年半にして迎えたそれぞれのけじめと再出発の時でした。


このうち父の実家とは、私が2年遅れで大学受験を決意した19の冬から、引きこもりや孤立無業期、非正規で仕事をしていた歳月等、殆どの期間くすぶっていた旧住所のことです。そこを他人に引き渡すわけですから、元家族4人分の家財・寝具・私物等の片付けに厖大な労力が必要なことは言うまでもありません。


しかし父は家族のプライベートな持ち物や遺品を他人の手に委ねたくないという理由から、引っ越し業者や便利屋への依頼を頑として拒み、老体に鞭打って7月ごろから車を使って片付けはじめていました。そして、それでも遅々として捗らない9月半ばからは、この春まで絶交状態だった私に何度も整理の手伝いを頼んできました。


もちろん、タンスや机や白物家電の運び出しには率先して応じました。体力面だけでなく、警備の仕事でたびたび目にした解体工事現場の不用品搬出で、作業員たちのモノの運び方を見ていて私にも効率性やコツがつかめていたからです。


父も元は間仕切り職人で、80過ぎにしては腕力もあり、大きすぎる家財は自ら電動カッターで縦横無尽に切断していました。本来なら子ども時代の私に職人として働くそんな姿をありのまま見せて社会とつなげてほしかった。何かの教育機関で受けた知能テストで私が図抜けたIQを叩き出して以来、有名私立中受験〜東大へ、という純粋培養の一本道に父はすっかり目が眩んでしまったのです。


2階の一室にぶちまけてあった弟や私のガラクタ類は片付けるのに丸2日かかりました。さらに、両親が夫婦生活を始めたころからひたすら溜めこんでいた未整理の衣類や写真、未開封や未使用のブランド品や食器や土産物…。高度成長期からバブル期までの昭和を無自覚に生きてきた小市民らしい置き土産を選別・処分するのに丸3日かかりました。


ホコリまみれ汗だくになって片付け作業に専念していましたが、私にとっての文学の本、弟にとってのゲームやマンガ本等、学校時代にいっとき夢中になっていたとおぼしきガラクタ物への消費の痕跡を、その時代相とともに懐かしむ気持ちは全く起こりませんでした。むしろ、一貫して痛感したのは、人の一生はこんなにも古びた虚しいものと共にざっくり片付けられてしまうんだな、という思いでした。


しかし逆に言えば、有意義に生きる秘訣とはメリハリをつけることかもしれない。行き詰まったら、転職でも転地でもして、発想を転換し、断捨離と新陳代謝を図る必要があるのかもしれない。


社会復帰にうんと出遅れた私には、幸い対人関係の恨みやしがらみがなく、自分本来の敏活さと暢達さをいまだ持ち合わせています。今回父のために仕事を2日休んでまで実家の片付けを手伝い、共に汗を流したことは、父との関係改善にもつながりました。と同時に、10代から断続的に続いた引きこもりや孤立無業・社会不安障害のあらゆる痕跡を、大量のゴミとして自らの手で片っ端から廃棄し尽くしたことで、いわば憑き物が落ちたような開放感を得て実家をあとにすることができたのです。