四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪非常時隊長、試練に直面②≫

(前回の続き)

それから11日間、我らが隊長は音信不通となったのでした。会社とも、現場とも、同僚や職長の誰一人とも…。

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もう解決済みなので端的にいえば、彼は母親の介護が日中不可欠となり、当分夜勤でしか仕事できない状況に陥った、という話でした。


しかし、いかにプライベートな困難があったにせよ、1年近く現場の警備の責任者だった者が、自分から1回の連絡もしてこないとは…。会社のほうも、ベテランに気を使って5日間も連絡を控えるなど、警備会社なのに対応も何かヘンでした。現場の方はといえば、工事も最盛期で、毎日40職種350人以上の作業員が働く、全容を把握するのも容易ならぬ規模です。結局その日からずっと、検定資格者の私が隊長を続けていますが、所長や監督らも、なじみの隊長が一体どうしたのかと毎日訊いてきたし、12月から4人目の警備員として加わったばかりの私が新隊長として職長間で自然に認められたのは、概ね代行4日め以降でした。



さて、ショッピングモールの本体は半分以上足場が取れ、ガラス張りの一角も姿を見せました。シンボルのロゴも昨日建物上部に取り付けられ、これで開業への意思が地元に明示されたといえます。内部はボード貼りや電気配線が至る所で進められています。また立体駐車場棟は既に完成し、職人たちの通勤用の乗用車やワゴン車を大量に収容しています。


そんな建物の進捗に伴い、自分が隊長となってから急に賑やかになってきたのが、周囲の広大な敷地を道路や駐車場に変えるための一連の外構工事でした。仮囲いの内側での広々した土均しに加えて、前面道路での縁石のコース変えや、ガス管・水道管引き込み工事等のたびに、うちの警備員が片側交互通行のため3名ほど呼ばれます。ところがメンバーによっては段取りが悪くてそのつど土木の親方に怒鳴られることもあるため、工事開始の9時前後や、規制帯からの重機やダンプの入れ替え時には、私が先んじて車をさばいてあげることもありました。


ほかにも、隊長は、毎日朝礼や昼の打ち合わせに出て場内の作業を把握し、帰りにはホワイトボードで、翌日の重機配置や通行不能エリア、搬出入動線の確認をしておく必要があります。週明けからは、新しい工事用ゲートを開き、いきなりトレーラーを入れて、クローラクレーンという巨大重機の解体搬出作業を行います。しかも同日から、前面道路の一角で、なんと信号機移設工事までやるのです。


警備員となって4年で迎えた、飛び抜けて大きな現場の隊長という重責。朝は早出で6時半から職人や現場関係者の通勤車両をゲートで迎え入れ、夕方も18時の閉門まで帰宅ラッシュの車を捌く毎日。(隣が工場で終業時間が重なるため。)


前隊長の時よりも業者の数が増え、場内各所への目配りがますます大変な毎日です。(自転車使用)
風邪をひいても動きながら治さねばならず、クタクタに疲れてアパートに着いたらもう何もする気にもなれません。


ましてやブログなど…。といいたいところですが、私はこうして手記を綴ることに最近かなりの手応えを感じています。というのも、中高年/長期引きこもりや孤立無業者の生き様が社会問題化している中で、当事者居場所界隈のダメをこじらせた拗ね者では断じてなく、就労支援の延長線上でまじめに努力を重ねて社会復帰できた人が、生活自立を果たし、経験値も上げてさらに充実した職業人へと伸びていく。そんな向上心に満ちた一例としての当ブログのようなあり方にこそ本当の価値があると思えるからです。