四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪熱気と虚名は要りません≫

胸の奥の違和感や空咳がほぼ解消しました。


仕事復帰から12日が経ち、埼玉・神奈川の道路工事と湾岸エリアのメディア施設とで、計9日間通常勤務しています。


この時期の交通誘導といえば、例年3月いっぱいまで繁忙期でした。私が入った5年前からみても、一昨年までは、管制から連日「人が足りない」の悲鳴があがり、ただあたま数を揃えるためだけに、現場で全く通用しないような隊員もお構いなく送り込まれてくるのが常でした。


しかし昨春に関しては、3月も半ばで早くもピークアウト。私ら建築現場常駐者や資格者・隊長格は別として、コロナ禍で皆に仕事が行き渡らなくなりました。さらに五輪延期や6~7月の長梅雨で稼ぎが目減りした人も多かったようです。


今年は多分それ以下となるでしょう。なぜならここ数年続いたホテルやタワマン新築ラッシュが完全に終息し、五輪も潰れて、会社に割り当て予定だった関連施設の駐車場警備等もなくなる公算が高いからです。

    ☆

ところで話は逸れますが、私はそのオリンピック自体に昔からかなり冷ややかな人間でした。もともと陸上と水泳の一部しか観なかったし、メダルにもアスリートにも興味無し。さらに2000年シドニーで露わになった、多様性の名のもとに特定の少数者属性をことさらシンボル化して前面に押し出すプロパガンダには反感を覚えました。日本でもそうでしたが、すでに前世紀末から経済苦境や失業・就職難等で自殺者も激増しているのに、メディアは、アスリートも含めて何か特定の属性の者に無上の発言権を与えては偽の正しさに舞い上がるばかり。翌年9.11同時多発テロが起こるまで、国の内外で行き悩む無数の一般の困窮者達に目を向けることなど絶えてなかったのです。


また、五輪の規模や競技数をむやみに拡大していく傾向にも私は一貫して反対でした。野球など最たるもので、その普及率の低さといい、出場選手の多さや試合運びの遅さといい、五輪とはことごとく相容れないリーグ戦型の集団スポーツとしか思えなかったのです。まあ他にもゴリ押し的な競技はいくつかありましたが…。

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ともあれ、東京五輪の前途は私ら末端の警備員にもそれなりに影響が出る問題です。コロナ疑いの肺炎症状で3週にわたって寝込んだばかりの身としては、とにかくこれ以上感染リスクを蔓延させないためにも、五輪などまっぴらご免です。さらに、コロナ対策については昨年来、欧米メディアの論調を決して鵜呑みにしてはいけないと痛感しました。彼らのどの国も断じて模範例ではなかったからです。