四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪1200年前、同じ時代の高みを訪ねて①≫

聖マリアンナ医大病院の新入院棟新築工事を無事終えたあと、私は交通誘導警備の仕事を結局4週間近くも休んでしまいました。(身の回りの整理や歯の抜本的治療のため。)

 

初めは、3年ぶりの海外一人旅をもくろんでいたのですが、ワクチン未接種のため、日本帰国前に現地の病院で検査を受けねばならず、もし陽性反応が出たら最後、無駄に足止めを食うだけなので、今回は見送りに。

 

そのかわり、なぜか今まで訪れる機会のなかった京都へふらりと出かけてきました。もとより社会的に大きく立ち遅れてしまった私は、ビジネスや仕事で日本各地を回る機会もなく、旅といえば趣味の登山か海沿いの景勝地巡りばかりでした。今回も山歩きを兼ねており、映像であまりにも有名な京都市内の神社仏閣は全部パスしましたが、唯一、日本仏教の源流となった比叡山延暦寺だけは訪ねようと決めていました。

 

といっても、私には宗教的なバックボーンは何もありません。平凡で学もない両親のもと、埼玉のベッドタウンで、一労働者の家庭に長男として生まれ育ち、生来極度におくてな性格で、喋りも運動も苦手。進学塾での成績が一貫して良かったため受験でK中学へ行きましたが、萎縮し躓き反抗し、大学復帰以降も実社会への見通しが全然甘く、かといって文学部のアカデミズムにも全く共鳴できないまま、人生下降線をたどる一方でした。

 

ずっとのちになって非正規雇用の倉庫作業員として社会復帰できたころから、数ある探究の一つとして特に鎌倉仏教の宗祖たちの思想と実践のありように強く惹かれ、自身の心に取り込んでいきます。

 

また、警備員として定着し、大規模現場の隊長を初めて任されやりきった2018年以降、韓国一人旅を試みるようになり、特に翌19年、3度めの旅で大邱から慶州を回ったさい、新羅の仏教遺跡を続けて観たことも興味を加速しました。

 

その時は、世界遺産で名高い新羅仏教の聖地 仏国寺(불국사)と石窟庵(석굴암)〈8世紀後半〉をタクシーで回り、市内の史跡巡り(徒歩)に加えて、北方 慶山市の岩峰の頂に切り出された座仏像『カッパウィ 갓바위(標高850m)』にも登山道から登ってきたのでした。

あいにく雨でしたが、そこは一つだけ願いが叶うとされる聖地で、大学受験の合格祈願とみられる家族など登拝者は後を絶たず、テンポよく流れる読経や頭上の鮮やかな五色の提灯の許、敷物の上で五体投地を繰り返す人々の姿は生きた信仰を目の当たりにする思いでした。

 

ちなみにここの寺で記念品を求め、買ってきたのが巾着袋。写真は裏面で、ハングルの般若心経全文です。

 

さて、このように新羅仏教の話を持ち出したのは、それが他でもない、比叡山延暦寺を創建した伝教大師最澄、そして同時代の双璧・弘法大師空海が生きた時代に打ち建てられた大事業だったからです。

 

(続きは次回)