四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪1200年前、同じ時代の高みを訪ねて②≫

3年前に訪れた、新羅の仏教遺跡群を思い出しながら、去る11月中旬、私は初めての京都で比叡山延暦寺へと赴きました。

 

ケーブルの駅を降り、年配ツアー御一行様や若干の外国人とともに東塔エリアへ入ったのですが、中心となる根本中堂は、なんと全面改修中。倉庫のような外観ですっぽり覆われ、内側は頑丈な仮設足場が張り巡らされ、拝観は下駄箱に靴を置いて足元に注意しながら順路をたどる格好でした。

 

内陣に祀られた薬師如来や法灯などは暗くて殆ど見えないまま、列に沿って進むうちに通路へ弾き出されてしまいました。が、狭い展示を経て仮設足場が見渡せる場所へひょっこり出ると、一転してそこは、仕事でおなじみ大規模工事現場の光景そのものではありませんか!

中庭に見学用のステージが組まれ、眼下には廻廊屋根の葺き替えが、反対側には鉄骨越しに本堂屋根(銅板葺き替え)も観られるようになっていました。写真奥に真新しい平板のストックも見えますが、新築現場同様、生の木の匂いまで立ちこめてくるような実に美麗な職人仕事でした。時々遠くの方で何か叩く音や削る機械の音がするも、それがまた控えめで何とも奥ゆかしく感じました。

 

ふとパンフレットを見て気づいたのですが、根本中堂の大改修工事は、平成28年に始まっています。奇しくもこの年、私はおずおずと警備の仕事に入り、最初の現場は都内の駅前マンションの改修工事でした。仮設足場を間近で眺めたのはその時が初めてだったといえます。

 

それから6年10ヶ月。同じ警備会社で、私は聖マリアンナ医大病院の新しい本館となる建物の完成まで1年7ヶ月間交通誘導警備の職長を務め上げました。しかし聖マリのリニューアル計画自体はまだ道半ばで、グランドオープンは2026年までかかります。かたや延暦寺根本中堂の改修工事も息の長いもので、2028年頃まで続くようです。

 

比叡山で思いがけず大規模現場に直面し、改めて延暦寺とその価値の継承に思いを巡らすはめになりました。そもそも標高800mの山中にラフターもトラックもない江戸時代に本堂が再建された時点で大工事だったにせよ、それを後世の人が立ち返るようにメンテナンスを繰り返すのは、やはり日本仏教の源流として果たした歴史の重みが違うのでしょう。

 

参道に沿って生い立ちの紹介もありましたが、比叡山仏道を修めたのち画期的な宗派を興すなどして大成した人物が、恵心僧都源信法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮上人と、すべて今日まで日本人の精神的支柱となっているほど多士済済なのです。

 

伝教大師最澄と同時代の弘法大師空海が、全知全能の化身のような存在でありながら、その学統から後世別の道を切り拓いていく宗祖を出せなかったのとは対照的です。

 

(続きは次回)