四時歩武和讃(しじほぶわさん)

〜立ち直りから精神復興へ。一警備員の手記と詩篇~

≪見越入道 ⑨≫

オラトリオ見越入道
刻露清秀

〈3〉(続き)

雨季と乾季が自生を促し
砂地に裸足の実生が溢れ
影と風とが混ざりあう時
蜜蜂たちのくるぶしは癒えた、
受粉とはことづけることだから。
生命の束を崖に残して
遺恨と封鎖の対岸へ渡り
身を低くして作戦を待つ
一線を越えた葦のはたらき、
だが何の恐れることがあるだろう
焦がれる者はどのみち燻し出されるからだ、
雪煙から立標に至る
二国ののろしと燈炬を守り、
飛び地を含むすべての荒野が
肥沃であり続けるために。


(続きは次回)


仕事で目一杯で、前回記事から10日も空いてしまいました。

そのかん、道路使用許可のもと、連日車線規制を行ってのクレーン作業や生コン打設が続きました。一日だけですが大通りの片側3車線と歩道まで封鎖しての巨大な重機による揚重作業があり、4車線目しか通れない一般車や大きく迂回させられる通行人等からは不満が炸裂。バカ、クソ野郎、どけ、テメエみてえな下っ端のカスが…等々、交差点の矢面に立って罵倒され、情けないやら報われないやら、人としてほんとにヤレヤレでした。


警備員といえば世間的には最底辺というのが通り相場のようです。私は社会的に長く孤立していたせいか、何も知らず2年前恐る恐る今の警備会社に飛び込みました。以来、折に触れて自嘲気味の、卑下するような物言いを同業者の口から聞かされることがあります。が、以前物流倉庫の入出荷の仕事で生気を取り戻した経験のある私にとっては、警備員も普通に襟を正して臨むべき正業のひとつに思えます。だいたい、私は基本的に愚痴や悪口・論難・断罪などは全く評価しません。なぜなら、人を落とす表現というのは結局単調で、視野も語彙も狭まるばかりだからです、ちょうど先述の罵倒のようにね…。